集団的自衛権 — 戦争はどう始まるのか

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2014/6/18

AFP=時事

Children carry portraits of Ukrainian heroes, fighters for the freedom of Ukraine since Kievan Rus times (from the 9th to the 13th centuries) to the present day, to commemorate them during annual Heroes Day in the western Ukrainian city of Lviv on June 1, 2014.

集団的自衛権を認めるか否か、その論争のなかで、さまざまな状況を想定した議論が行われている。朝鮮半島における南北両軍の戦闘とか、ホルムズ海峡における機雷封鎖とか生々しい設定が並べられるのだが、気になることがある。この議論をする人たちは、戦争の可能性がどこまであると考えているのだろう。

ひとつには、戦争を起こさないためにこそ集団的自衛権が必要だという議論がある。逆にいえば集団的自衛権を認めれば紛争の抑止を期待できるという意味になるのだろうが、さてどうだろう。日本が集団的自衛権を認めれば北朝鮮や中国は戦略を変えるだろうか。私には、両国とも日本が米軍と共に戦う可能性を最初から織り込んで戦略を立ててきたように思われる。この場合、公式に集団的自衛権を日本政府が認めても、相手の行動を変えることは期待できない。

もうひとつの議論は、戦争が起こりそうもないことは誰でもわかっている、だが可能性はわずかでも備える必要はあるというものだ。そう考える人たちは、「日本が関わる紛争」をごく狭い地域に限って考え、その外の地域で戦争が起こっても日本とは関係ないと判断しているのかも知れない。それでも、現代世界において戦争が起こる可能性はほんとうに少ないのだろうか。

私の意見は違う。いまの世界では戦争が生まれる可能性が高い、しかも地域が限られ戦闘の規模も限られた紛争がより大規模な軍事紛争に発展する可能性は、いくつかの地域で高まっている。それが私の分析である。

一般に軍事大国は互いに直接の戦闘を始めることについては慎重であることが多い。いったん戦争が起こった場合の代償が大きいためであるが、その結果として抑止戦略も核保有国の間では効果を上げやすい。冷戦時代も直接の米ソ戦争は起こらなかった。現在でもアメリカとロシア、あるいはアメリカと中国が直ちに戦闘を始める可能性は低い。

だが、大国相互ではなく、第三の地域で紛争が発生した場合、そこへの軍事介入については状況が違う。

自分の国を攻撃されるのならともかく、たとえ同盟国であっても、他の国が侵略されたからといって、その国を守るために軍事大国と戦争を始めるリスクは高い。ましてその国が同盟国でなければなおさらだ。たとえば、ロシア軍がウクライナとの国境を越えて進軍したとき、NATO(北大西洋条約機構)諸国はウクライナ政府を支援してロシアと戦闘に入るだろうか。あるいは、ベトナム沖合で石油を掘削する中国がベトナム軍と戦闘に入ったとき、米国、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国、あるいは日本やオーストラリアは軍隊を送ってベトナムを支援するだろうか。

いうまでもなく、ウクライナは(まだ)NATOの一員ではないし、ベトナムもアメリカと同盟は結んでいない。もしNATOがウクライナに介入する危険が乏しいのであれば、NATOの介入を恐れずにロシアが東ウクライナに進軍することが可能となる。また、米国やASEAN諸国がベトナムを支援する可能性が乏しければ、中国は他国を恐れずにベトナムと戦闘に入ることが可能となる。

では、ロシアや中国が武力行使を思いとどまればどうか。それでも危険はなくならない。このウクライナ、あるいはベトナムの事例で恐ろしいのは、西側諸国の支援が確保されていない場合でも、ウクライナ政府、あるいはベトナム政府が、ロシアないし中国に攻撃を加える可能性があることだ。既にウクライナでは新政権発足直後から東部地域への全面攻撃が続いている。ベトナムはまだ慎重な姿勢を崩していないが、1979年の戦争においてベトナム軍が越境した中国軍に壊滅的な打撃を与えたことは忘れてはならない。紛争現場に戦闘意欲の高い勢力が存在するとき、紛争のエスカレートを止めることは難しい。

紛争の背景に政府の権力の弱まりがあるときも戦争は避けにくい。コンゴや南スーダンのように政府が領土を統治する力を失った「破綻国家」はその例である。イラクでも、「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が勢力を広げる背景に現マリキ政権の弱体性があることは確実だろう。この情勢を放置すれば、シリアからイラクにまたがる巨大な紛争地域が生まれてしまう。

ここに掲げたどの紛争も全面戦争には達していない。だが、戦争が遠い将来の可能性ではないことも明らかだ。紛争のエスカレートを食いとめるために可能な手段を考えること、それこそが現実的な戦争へのアプローチだと私は考える。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2014年6月17日に掲載されたものです。