紛争があふれる世界 − 抑止戦略に頼れぬ現実

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2015/2/25

AFP=時事

当たり前のように暴力が使われる時代になった。中東では、過激派組織「イスラム国」によって人質が惨殺される一方、イラク・シリアばかりでなくリビアでも「イスラム国」に呼応する勢力によって暴力が展開されている。アフリカでは、ナイジェリア北部に勢力を築いたボコ・ハラムが、国境を接するカメルーン、ニジェール、さらにチャドでも襲撃事件を引き起こした。中東・アフリカばかりではない。フランスやデンマークのテロ事件の背後にはイスラム過激派があると考えられている。

ウクライナでは、2014年の政情不安とロシアによるクリミア併合に始まる紛争が再燃し、ウクライナ東部における激しい戦闘が続いた。ドイツとフランスの仲介によって新たな停戦合意が結ばれたが、いつまでロシア系武装勢力とウクライナ軍の戦闘を抑えることができるのか、悲観的な予想のほうが多い。

武力行使が広がれば、対抗する側も武力行使を拡大してしまう。すでに昨年夏からイラクとシリアで空爆を行ってきたアメリカは、地上軍投入の準備を開始した。ウクライナ停戦合意の直前には、ウクライナ軍に武器を供与する方針も検討されていた。アメリカばかりでなく、テロ事件や人質惨殺を受けて、フランスやヨルダンも武力介入を強化している。米同時多発テロ事件から13年を経て、戦争の時代が再開したように見える現状だ。

こんな時、どんな方法が適切なのだろうか。一般に国際政治では、攻撃があれば大規模な反撃を行うことを相手に伝え、それによって攻撃を未然に防止するという抑止戦略が基本とされている。抑止は軍事力に頼る意味において平和主義と対極に立つが、軍事力による領土や富の拡大を排除する点において力の行使を抑制する性格も持っている。

だが、抑止によって平和を保つことのできない状況も存在する。その第一は、報復攻撃による犠牲を恐れずに行動する主体である。自爆を試みるテロリストに向かって報復を予告しても意味がないように、どれほど犠牲を払っても目的を達成しようとする交戦主体を前にすれば報復攻撃を予告しても効果は期待できない。そして、抑止によって行動を抑えることの出来ない相手を前にするとき、実際に戦闘を行うほかに選択はない。これが、「イスラム国」の提起する残酷なジレンマである。

では、武力によって「イスラム国」を倒せばよいのか。私は「イスラム国」に対する武力行使は必要であると考えるが、同時にその効果を過大評価できないとも考える。問題は「イスラム国」の暴力だけではなく、シリア北部からイラク中部にかけて実効的支配を行う政府が存在しないことにあるからだ。さらに、そのような破綻国家状況を打開するために外から統治をつくろうと模索しても成果を期待できない。アフガニスタンとイラクへの軍事介入では、戦闘は短期間に終わったものの、その後の占領統治において膨大な犠牲が生まれた。いまアメリカやイギリスがシリアやイラクにおいて長期間の占領を行う可能性はゼロに近い。

抑止戦略の実効性が少ないもうひとつの状況は、小規模の軍事紛争に対して各国が関与する意思の乏しい場合である。大規模な攻撃に対して反撃する準備はあっても小規模の攻撃については対抗する意思が乏しければ、小規模な攻撃を加えた側は勝ち逃げに成功する。大規模な攻撃を抑止するだけでは小規模の攻撃を抑えることはできないのである。

ウクライナ紛争はその典型だろう。今回の停戦合意が結ばれた背景には、欧米諸国がウクライナ政府への軍事支援を躊躇しているという現実があった。仮に武器を供与してもウクライナ軍の劣勢を補うことができないのであれば、支援しても効果は期待できない。そしてウクライナ軍だけではロシアを抑えることができない場合、NATO諸国はウクライナを見捨てるか、それともウクライナを飛び越えてNATO諸国が直接軍事介入するかという選択に直面する。そのような戦争のエスカレートをNATO諸国が恐れたからこそ、ロシア側に有利な停戦合意が生まれた。大規模な戦争に拡大することを恐れて、小規模な勢力拡大を放置したのである。

イラク・シリア、ウクライナ、どちらの紛争を見ても、軍事的威嚇だけでは不十分であり、実際に軍事介入を行うほかに効果を期待できる選択はない。しかも、軍事介入に訴えたところで紛争が終結に向かう展望は乏しい。戦争が必要でありながら、戦争が終わらない世界。解決策や処方箋を示すことなく突き放していえば、それが私たちの生きている時代である。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2015年2月17日に掲載されたものです。