自尊と自虐の間で − 批判拒めば改革ならず

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2015/4/23

EPA=時事

いつからのことだろうか。書店の店頭、新聞記事、あるいはテレビ番組で、日本の良さを伝えるものが目立つようになった。日本で開発された優れた商品のなかに日本人のDNAを読み込むような議論に触れた人は多いだろう。

その前には、日本への批判を自虐として拒む態度があった。日中戦争と第2次世界大戦における日本軍の行動に批判を加えると左翼だとか自虐史観だなどと形容されるようになってから久しい。歴史観の問題だけにとどまらず、政府の政策への批判が自虐として退けられるようになった。日本人の誇りを求める文章や映像は、自虐の対極としての自尊願望の反映とみることができるだろう。

たまたま国籍が同じだという理由だけで会ったこともない人たちと自分が一体であると考え、自虐や自尊を論じる根拠は疑わしい。だが、自分の帰属する集団を肯定したいという願望は、ほとんど人情のようなものだ。私自身も、生真面目で責任感のある人たちが日本に多いと感じてきたし、その一員であることに誇りを持って生きてきた。個人としての自分ばかりでなく自分を含む集団に美点を求めることが誤りだとは思えない。

とはいえ、その社会の抱える問題に関する批判を自虐として退けてしまえば、ただ現実を肯定するだけに終わり、悪くすれば無為無策を招いてしまうだろう。そして敢えて言えば、日本社会が大きな変革に成功したのは日本国民の美化ではなく、その抱える問題に目を向けた時であった。

東アジアで植民地獲得を模索する欧米列強に独立を脅かされるなかで進められた徳川政権の解体と明治維新は、日本の統治を根本的に変えなければ文字通りの国難に立ち向かうことができないという自覚に支えられた体制改革であった。敗戦と占領という厳しい条件の下で進められた戦後改革も、破滅的な戦争に日本を導いた軍国主義とは異なる政治体制と経済制度を新たに実現しようという意思があったからこそ行われた。占領下とはいえ、占領軍による強制などに決して還元することのできない日本国民の主体的な選択がそこにあった。

維新や敗戦ばかりではない。戦後70年の間にも、体制を刷新する時代はあった。高度経済成長が2回の石油危機によって覆った1970年代はそのひとつだろう。企業は雇用の安定と引き換えに賃金の抑制を労働組合に求め、石油危機の影響が産業部門によって大きく異なるなかで政府は経済の構造改革を遂行し、対立を繰り返してきた与野党も経済危機を打開するなかで提案された改革には協力を惜しまなかった。その結果、先進工業国のなかで日本はいち早く不況から脱却し、欧米諸国を凌駕する経済成長を達成することになる。

石油危機への対処を支えたのは、日本の抱える課題や弱点を自覚し、それに正面から取り組む姿勢であった。敗戦後の再建を担った世代は、日本が欧米を凌駕する高度経済成長は当然であるなどと考えるような楽観的観測を持ってはいなかった。石油危機の時代を振り返って驚くのは、日本の政治家、官僚、企業経営者、さらに労組の指導者が日本の政治経済が抱える弱点を的確に自覚していたことである。

課題を認識していたから対処も早い。石油危機後の再建は自尊や自己肯定ではなく、日本の制度の弱点に目を向けるリアリズムがあったからこそ可能になったと言ってよい。

日本経済の優位が続き、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどという自己肯定が広がった80年代になると、70年代まで共有されていた日本の現状に対する厳しい認識、リアリズムが失われてしまう。欧米に学ぶ時代は終わった、これからは日本がモデルだなどという元気な発言があふれるなか、対処すべき課題から目が逸れていった。楽観の代償は無策と長期不況だった。各国でバブル経済が破綻し、製造業や金融で大きな改革が進むなか、短期間に景気が回復するという楽観が強い日本では改革が遅れ、20年に及ぶ不況を招くことになった。

ようやく日本経済が成長を取り戻し、政治的にも安定政権が生まれたことを私は歓迎する。だが、日本社会や政府への批判を自虐として拒むような態度には賛成できない。そのような自尊の追求は日本の抱える課題の認識を阻み、自己肯定のなかで無為無策に陥る危険があるからだ。

自己肯定への願望は政府ばかりでなく、社会のなかにも広がっている。だが、自尊は思い上がりにつながり、思い上がりと慢心は停滞をもたらす危険がある。いま日本に求められるのは、問題の発見を自虐として退けるのではなく、改革の前提として批判を受け入れる態度だろう。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2015年4月21日に掲載されたものです。