日米ガイドライン − 軍事力、過信するなかれ

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2015/5/27

photo by Ryoma. K

日米両国は新たな防衛協力のための指針(ガイドライン)に合意し、このガイドラインと結びついた安保関連法案の国会審議が始まった。これらの法案に対し、海外で活動する自衛隊が攻撃される危険が高まる、米国の始めた戦争に日本が巻き込まれるのではないかなどの懸念が表明されている。

さて、どう考えればよいのだろう。日米安保条約が成立したあと、日本国憲法と安保条約が共存する状態が続いてきた。その初期には安保条約が合憲なのか争われたが、現在では日米安保を受け入れる国民が多数である。

また、日米同盟はすでに東アジア国際関係における現状の一部となっている。日米安保が日本軍国主義を抑えるビンのフタだという周恩来の解釈を現在の中国政府が受け入れているかについては疑問の余地があるとしても、中国、それでいえばロシアも、日米同盟は変えることの極めて困難な所与の現実として受け入れていることは否定できないだろう。

しかし、自衛隊が米国と合同の軍事行動に加わる範囲については、日本国憲法を理由として、これまでの日本政府は慎重な姿勢を保ってきた。

その背景には日本の政治状況があった。一方では社会党や共産党が、安保条約と米軍基地そのものを否定する立場を表明した。他方、吉田茂首相以後のいわゆる「保守本流」は日本の経済成長を第一の政策目標とし、日本防衛のために米軍に頼ることには積極的でも日米共同の軍事行動には否定的であった。米国と同盟を結びつつ、日米協力の範囲は憲法によって規制するという政策は、護憲を掲げて同盟に反対する左派と同盟に頼りつつ経済成長を優先する保守本流によって支えられた。

現在の新ガイドラインと安保法制は、米軍との協力範囲に対する従来の制約を取り除くものとして捉えることができる。そのような制約は憲法を根拠として加えられてきたから、これでは実質的な憲法改正ではないかという批判も生まれた。だがここで考えたいのは、この政策転換によって、日本の安全、さらに国際関係の安定が高まるのかどうかという点である。

私は、日米同盟も同盟である以上、米国が日本防衛にコミットしているのに日本は米軍との協力を拒むという選択には無理があると考える。その選択を続けるなら、米国が日本の防衛に現実に関与する可能性も減ることになるからだ。片務的な同盟から双務的な同盟への転換が叫ばれた背景には、米国が日本防衛から離れてしまうという懸念があった。米国に見捨てられる懸念は米ソ冷戦が終結したあとさらに高まり、それが前回のガイドライン見直し(1997年)の背景となった。

米国から見れば、同盟国の信用をつなぎ留めることができなければ、同盟の結束が弱まり、米国の影響力は後退する。今回の新ガイドラインは、同盟国との結束強化によって中国などの潜在的な脅威を前に米国が同盟国防衛から後退する懸念を弱めるねらいを持っている。新ガイドラインはオバマ政権におけるアジア基軸外交の一環をなしていると考えてよい。

新ガイドラインは、中国が軍事力を拡大し海軍の外洋展開を強めるなかで合理的な選択として評価できる。だが、日米の軍事協力を進めれば必ず軍事紛争が防止される保証はない。そもそもこのようなガイドラインや新法制はなくても、中国は有事における日米協力を想定してきた可能性が高い。ガイドラインの改訂が対中抑止力を高めるとは限らないのである。

また、米国のアジア基軸外交は中国を牽制しつつ米中の軍事衝突は極力回避するものであり、軍事的威嚇だけに頼るものではない。私はオバマ政権における軍事力行使への慎重な姿勢は賢明であると考えるが、同時にその姿勢が米軍の対中抑止力を弱めることも無視できない。米国が中国との戦争を避けようとする限り、ガイドラインがあったからといって尖閣諸島沖合などにおける中国の限定的な軍事力行使を阻止できる保証はない。

国際関係において軍事力は平和を保つ手段と、その平和を破壊する手段という二重の性格を持つ。威嚇によって相手の攻撃を阻止する可能性がある以上、抑止戦略にも効用があることは否定できない。実際、戦後日本は憲法とともに安保条約も受け入れることで力による平和に頼ってきた。

だが軍事力の効果を過信すれば、慎重な外交によって国際紛争を打開する機会を逃し、避けるべき戦争に突入する危険が生まれる。問題は軍事力を認めるかどうかではなく、軍事力の過信を避けることができるかという点にある。そして、軍事力への過信は、米国政府よりも日本政府において見られるのではないか。それを私は恐れる。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2015年5月26日に掲載されたものです。