新安保法制 − 同盟強化より外交力を

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2015/6/17

EPA=時事

新安保法制は日本が攻撃される危険を強め、日本を戦争に導くものだという批判が行われている。政府はこの法制によって日本、さらに世界に平和を広げることができると主張している。それでは集団的自衛権は、戦争の危険を高めるのか。それとも戦争を防ぐ手立てとなるのだろうか。

集団的自衛権とは、同盟を組む国家に攻撃が加えられたらともに反撃を行うという、同盟と不可分の概念である。同盟の目的は国防であり、戦争の否定ではない。しかし、同盟が戦争を誘発するということもできない。

北大西洋条約機構(NATO)は米国と西欧諸国がソ連に対抗する目的からつくられた同盟であるが、米ソ冷戦終結後も維持され、ヨーロッパ地域の安定の基礎となっている。NATOのために国際情勢が不安定になったとはいえない。

日本は米国と同盟を結んでおり、その日米同盟は既に東アジア国際関係の現実を構成している。日米両国の緊密な軍事協力が可能となるよう法制度を整備することが好戦的な政策であるとは必ずしもいえない。

しかし、同盟諸国が協力すれば国際紛争を打開できるわけでもない。クリミア併合後のロシアがウクライナ東部に事実上の勢力圏を築くなかで、NATO諸国の対応は動揺を繰り返した。ロシアの勢力拡大を認めることはできないが、ウクライナに派兵することでロシアとの戦闘に陥ることも避けたいからである。現在NATO諸国はリトアニアをはじめとするバルト三国の防衛を強化しているが、NATOに加盟していないウクライナ防衛については明確な関与を示していない。

軍事的に見ればNATO諸国の兵力はロシアを凌駕している。だが、軍事力の規模と同盟諸国の協力だけではロシアの行動を抑制することはできない。軍事介入する意思が乏しいとき、抑止戦略に効果はない。

東アジアでは、中国人民解放軍の外洋展開が日米をはじめとする西側諸国の警戒を呼び起こした。今回の新安保法制も対中抑止力の強化を期待していると考えてよい。核兵器を持つ中国に対し、日本も韓国も単独では軍事的に対抗することができない。日本や韓国が米国との同盟に頼ってきたのは米国抜きでは相手を抑止できないからである。そして西側諸国の軍事力は、中国のそれをいまなお凌駕している。

だが、日米の軍事的連携によって中国軍が南シナ海などから撤退することを期待できるだろうか。南シナ海などで発生した紛争が小規模であれば、米軍が投入される可能性は低い。軍事介入する意思がなければ相手の退却を期待できず、軍事介入に訴えるなら中国との全面戦争を覚悟しなければならないからだ。このジレンマは、集団的自衛権を認めたところで消えることはない。そもそも中国は日本が米軍とともに行動することを織り込んで軍事戦略を立ててきただけに、新安保法制によって行動を変える可能性は乏しい。

ヨーロッパでも東アジアでも、同盟は国際政治の現実の一部を構成しており、それが地域の緊張ばかりでなく、安定ももたらした可能性は否定できない。だが、ウクライナや南シナ海などの事例を見れば、同盟強化と軍事的威嚇によって国際紛争の打開を図ることがどれほど困難なのかもわかるだろう。軍事力の役割を否定することは愚かだが、その役割の過大視はさらに愚かだといわなければならない。

では、戦争を避けるためには何が必要なのか。日本に足りないのは同盟強化ではなく、外交である。

ウクライナをめぐるロシアとの緊張が高まるなかで、外交の中心を担ったのがドイツのメルケル首相である。旧東ドイツ出身でロシア語も話すメルケルが間に立つことによって、ウクライナ政府とロシア系武装勢力との対峙がNATOとロシアの全面対決に発展する危険をなんとか避けることができた。東ウクライナの緊張もプーチン政権の強硬姿勢も引き続いているだけにまだ平和とはほど遠い情勢であるが、紛争激化を避ける上でメルケルが果たしてきた役割は大きい。

私は、安倍首相が軍事力だけを重視してきたとは考えない。しかし、軍事ではなく外交に力点を置いた安倍政権の政策はこれまで実績が乏しい。拉致被害者の帰国のために行われた北朝鮮との交渉は挫折し、成果が上がる見通しはない。北方四島の返還を目的としたロシアとの交渉にも展望はない。

軍事力が国際関係の現実であることは無視できない。だが、軍事にばかり頼る対外政策は安定を阻害し、緊張を助長する危険がある。同盟強化を第一とする政策は政策の優先順位を誤るものではないか。それが、国際政治の視点から見た、私の新安保法制への懸念である。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2015年6月16日に掲載されたものです。