米の戦争と集団的自衛権 − 紛争分析し、見極めよ

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2015/8/26

アメリカの始めた戦争に日本が巻き込まれるのではないか。これは、新安全保障法制に反対する議論のなかで繰り返し現れる論点の一つである。

いうまでもなく新安保法制は集団的自衛権の限定的承認を目的としている。集団的自衛権とは同盟と不可分の概念であって、同盟国の安全が脅かされた場合、たとえその脅威が日本の安全を直接には脅かすものではないとしても、一定の条件の下で同盟国の軍事行動に協力を行うことになる。

これまでアメリカ政府は日本防衛へのコミットを表明してきたが、アメリカの軍事支援要請に対する日本の協力は限定され、法的根拠も乏しかったため、日米両国の懸案となってきた。日本国憲法と日米安保条約との間の緊張がその背景にある。

同盟とは各国が軍事協力を行うことによって単独の防衛力よりも大きな防衛力を確保し、他の諸国による侵略を阻むことが目的であるとすれば、その同盟を安定させるためには集団的自衛権の承認は欠かせない。自国の防衛に協力しない同盟国のために自国の兵士の安全を危険にさらすことは考えにくいからである。

だが、仮にアメリカ政府が国外への軍事介入に積極的であり、国際関係に不安定を招く存在であるとすれば、集団的自衛権を認めることによって日本はアメリカとともに世界の安全を脅かす存在となってしまう。新安保法制が戦争への道を開く法案だという議論の前提には、戦争に積極的なアメリカが日本を巻き込むのではないかという懸念があるといっていい。

さて、どうだろうか。私はオバマ政権が軍事介入に積極的であるとは考えない。アフガニスタンとイラクへの介入のあとに誕生したオバマ政権は、ちょうどベトナム戦争後に生まれたカーター政権のように、軍事介入に慎重であった。介入したリビアからもいち早く撤兵し、シリアでは内戦拡大を前にしながら介入を渋り続けた。中国の軍事台頭に対してアジア基軸外交を打ち出しながら、尖閣諸島を巡って日中両国の対立が厳しくなると、中国の牽制よりも紛争拡大の防止を優先した。もちろん平和主義ではなく米軍の犠牲を恐れた結果であるが、現在のアメリカ政府が好戦的だとはとてもいえない。

問題は、そのアメリカ政府の方針が今後も続くとは限らない点にある。ブッシュ大統領はイラク介入という不必要な戦争によって独裁政権下とはいえテロの危険が少なかったイラクを破綻国家とテロの温床に変えてしまった。オバマ大統領への不満が高まるなか、大統領選挙を翌年に抱えたいま、扇情的な発言を繰り返すドナルド・トランプを筆頭とする共和党の大統領候補が「強いアメリカ」の回復を競い合っている。仮にヒラリー・クリントン元国務長官が次期大統領となったとしても、オバマ政権の不介入政策が維持される保証はない。

アメリカが常に好戦的であり、世界各地に軍事介入を行う機会を模索しているという判断は事実に反する。だが同時に、世界最大の軍隊を擁するアメリカが軍事行動に慎重な姿勢を保つことは容易ではない。アメリカが過剰な軍事介入に走り、日本に協力を求める可能性があるのは事実だろう。

それではどうすべきか。私は、アメリカの戦争に巻き込まれるなという訴えをもとに集団的自衛権をすべて否定することには賛成できない。憲法9条を基軸とする日本の平和主義は、日本が再び侵略戦争を引き起こすことを防止するために貢献する一方、日本の安全に関わらない国際紛争に対しては孤立主義ともいうべき姿勢を生み出した。平和主義というかけ声の下で平和構築のために必要となる国際協力から日本が外れる結果を招くことがあってはならない。

他方、集団的自衛権の名の下でアメリカの求める軍事協力に応じることにも強い懸念がある。アメリカはいつでも戦争を始めようとしているわけではないが、ベトナム戦争やイラク戦争のように過去にいくつもの不要な戦争に走ってきた。アメリカの無謀な軍事介入に日本が協力すれば、平和構築どころか平和の破壊に加担することになってしまう。

軍事力を全て否定する原則論も、アメリカの要請に常に従うという判断放棄も、答えにはならない。必要なのは、それぞれの国際紛争を自分の力で分析し、武力行使以外の手段が本当に存在しないのか、それを見極める判断力である。

新安保法制を巡って国会で行われている議論を見るとき、日本政府にも、また野党にも、国際紛争を冷静に捉える力があるとは思われない。政局と結びついた国内消費用の議論ではない国際紛争の分析がいまほど必要な時はない。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2015年8月25日に掲載されたものです。