米大統領選「トランプ現象」 − 放たれた偏見の行方は

東京大学政策ビジョン研究センター副センター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2016/1/25

藤原帰一

Photo: Izawa Hiroyuki

アメリカ大統領選挙が行われるのは今年の11月。アイオワ州の党員集会が2月1日、ニューハンプシャー州予備選挙も2月9日だから、選挙戦はまだ序盤に過ぎない。ところが今回の選挙の場合はすでに昨年から関心が高く、共和党大統領候補のテレビ討論会も異例の高視聴率を集め続けた。

その理由はドナルド・トランプが大統領に立候補しているからだ。テレビ番組でよく知られたこの富豪は、従来のアメリカ政治では考えられない極端な提案や発言を繰り返してきた。

不法移民流入を阻止するためにメキシコとの国境に壁を作り、その建設費用をメキシコ政府に払わせる。中国からの輸入品に45%もの関税をかける。シリア移民を受け入れないばかりか、(時限措置とはいえ)イスラム教徒すべての米国入国を禁止する。その間には女性の大統領候補フィオリーナの容姿をあげつらい、最近ではカナダ生まれのクルーズ候補に大統領になる資格があるのかといい出した。

どれをとっても考えられない、というより考える必要さえない提案だが、途方もないからこそ米国のマスメディアはそれをこぞって取り上げ、その結果としてトランプが選挙報道をほとんど独占してしまう。マスメディアの非難を繰り返すトランプがマスメディアを利用するわけだ。トランプ現象とでもよぶべき事態である。

誰でもこんなことが続くはずはないと考えるところだ。実際、当初はトランプ現象が一過性で終わるという観測が一般だった。だが7月下旬からほぼ半年、トランプは全国世論調査で首位を維持してきた。各党候補がまだ決まらない予備選挙の時期には全国よりも予備選挙の行われる州の世論調査が重要だが、そこを見ても、アイオワではクルーズと首位を争い、ニューハンプシャーでは7月下旬から一貫して首位を保っている。その間には、最有力候補と目されたジェブ・ブッシュの支持が凋落し、世論調査5位で低迷するという番狂わせも起こった。

希望的観測もこめていえば、私は、トランプが最終的に米国大統領となる可能性は依然として低い、むしろトランプが共和党候補に選ばれるなら民主党候補が本選挙で有利になると考える。だが、話はそこで終わらない。トランプ現象がアメリカ政治の争点を変えてしまったからである。

まず、不法移民の排除が公然と議論されている。移民排斥の歴史が長い米国でも、近年の大統領選挙でそれが公言されることは少なかった。白人が多数とはいえ多民族社会であるアメリカでは、白人以外の民族を排除する言動が全国選挙では不利に働くからである。特にメキシコ出身者などのラテン系は人口に占める比率が増大しているため、その排除どころか取り込みこそが共和党の課題だった。

だが、多数派の地位を失いつつある白人から見れば、移民増加は自分たちへの脅威に映るだろう。現在の欧州では移民排斥の動きが広がっているが、多数派民族が少数派を排斥する政治のありかたがトランプ現象によってアメリカでも始まったかのようだ。

また、対外政策が選挙の争点となった。一般に外交が選挙の争点となることは少なく、争点になるときは強硬な対外政策の是非が中心になりやすい。今回の選挙の場合、イスラム世界とアメリカとの関係がその争点である。

オバマ大統領がシリア難民の受け入れ方針を発表したとき、それはテロリストの入国を招くとしてトランプは反対した。この段階では争点が難民受け入れに限られていたが、その後にパリで大規模テロが発生し、米国サンバーナディーノ銃乱射事件の主犯がイスラム過激派であることがわかると、競い合うように過激な対外政策が議論される。トランプだけではない。世論調査首位をトランプと争うクルーズは米国がシリアを絨毯爆撃すべきだと主張している。

トランプ現象が示すのは、単独行動のアメリカの復活である。オバマ政権は国外への軍事介入に消極的であったが、中東の不安定と国際テロが拡大するなかで、アメリカの対外政策が変わろうとしている。トランプの目的はあくまでアメリカ国民の安全に限られ、国際社会全体の安定も世界各国との連携も視野の外に置かれている。

トランプ現象を支えるのは、異民族やイスラム教徒によってアメリカ国民多数派の安全が脅かされているという恐怖だろう。その恐怖が広がることによって、これまでは表だって語られなかった民族偏見や対外偏見も公的な言論に浮上してしまった。

トランプは粗暴な言葉で米国社会の恐怖をあおり、社会に潜んでいた偏見を外へ解き放った。パンドラの箱から出てしまった偏見を箱に戻すことはできるだろうか。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2016年1月19日に掲載されたものです。