アメリカの「後退」 − 戦う国へ転換したなら

東京大学政策ビジョン研究センター副センター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2016/2/19

藤原帰一

Photo: Izawa Hiroyuki

2016年の世界。アメリカの影響力が後退している。

クリミアはロシアに併合され、ウクライナ東部はロシア系住民による事実上の支配下に置かれている。ジョージア(グルジア)領であった南オセチアとアブハジアに続き、旧ソ連圏の一角がロシアの勢力圏に加わった。

中東はどうか。アメリカは過激派組織「イスラム国」(IS)打倒を目的としてイラク・シリアにおける空爆を展開したが、その成果が上がらないなかで、ロシアによる支援を受けたアサド政権はシリア北部の都市アレッポなどで攻勢を強めている。ISとの戦闘が一進一退を続けるアメリカと、アサド政権を後押しして成果を上げるロシアとの対照は明らかである。

中東諸国との協力も弱まった。核開発を巡るイランとの国際合意はイスラエルばかりかサウジアラビアからも反発を受け、両国のアメリカ離れを加速した。シリアでもトルコはISではなくクルド武装勢力への攻撃を続け、サウジアラビアと協力してアサド政権と直接の戦闘に訴える勢いだ。アメリカの友邦であるはずの二つの国が、アメリカを飛び越えて戦争に走りかねないのである。

東アジアでは「アジアへの軸足」のかけ声の下で中国との対抗を打ち出したが、ここでも成果が上がっていない。中国が実効支配を続ける西沙(パラセル)諸島や南沙(スプラトリー)諸島の海域に駆逐艦を派遣したが、中国による人工島の建設はいまなお続いている。さらに北朝鮮は、核実験を成功させたばかりか、ロケットの発射も行った。

権力とは相手を操作する力であると考える限りどこを見てもアメリカ政府が各国を操作する力が後退している。この状況はなぜ生まれたのだろうか。

アメリカの凋落だ、第2次世界大戦後70年余りにわたって続いたアメリカの国際的覇権が、その軍事力と経済力の衰えによって失われたのだ、という見方があるだろう。日本ばかりでなく中国などでも耳にする主張だ。

だが、アメリカの軍事力と経済力は衰えてはいない。精密誘導兵器や兵士の戦闘経験を見ればわかるように、米軍に対抗できる軍は今日の世界に存在しない。経済についても景気後退に直面しているのは中国、ロシア、欧州諸国であって、アメリカ経済は持ちこたえているというべきだろう。軍隊と経済という力の源に関する限り、アメリカが凋落したとは言えない。

では、力を持ちながらなぜ各国を操作できなくなったのか。それは、長期的には中国、ロシアなどによる地域覇権の模索であり、短期的にはアメリカが軍事介入に消極的になったためであると私は考える。

米ソ冷戦が終結した四半世紀前、ロシアも中国も対米関係の安定を対外政策の第一の目的とし、それがアメリカの影響力を支えた。だが、軍事力と経済力の発展とともに、中ロ両国は地域における影響力の拡大を求め、対米協調ではなくアメリカの関与を拒む政策に転換した。中国による地域覇権の模索については多くの分析が行われている。ソ連解体という形で冷戦終結の負け組となったロシアにおいては失われた影響力の回復に向けた世論の支持は中国以上に大きい。アメリカの覇権喪失は、中ロ両国による地域覇権の模索と裏表の関係に立っている。

そして、アメリカが軍事介入に消極的になった。アフガニスタン・イラクという二つの介入が大きな代償を強いたため、オバマ政権の下のアメリカは海外への派兵を渋り、軍事介入する場合でも空爆に頼り、地上軍投入を避け続けた。

戦争に訴えるから世界各国がこれまでアメリカに従ってきたといえば言い過ぎになるだろう。だが、アメリカがシリア介入を渋ったことがトルコ、サウジアラビア、イスラエルのアメリカ離れを加速したことは否定できない。アメリカは軍隊が弱いからではなく、戦わないから影響力が後退したのである。

この状況が長く続くことはないだろう。選挙に向けた共和党の大統領各候補の発言を見ればわかるように、弱いアメリカとはアメリカ国内で不人気な政策だからだ。そこから生まれるのが、戦わないアメリカから戦うアメリカへの転換である。

そして、アメリカが戦争に積極的になれば世界が安定することにもならないだろう。むしろ、戦うアメリカへの転換は、地域覇権を求める中ロ両国との緊張を激化させ、国際関係の不安定を招く公算が大きい。

2016年の世界は不安定である。だが、戦わないアメリカが戦うアメリカに転じたなら、その不安定はさらに加速する。戦うアメリカに期待をかけてはならない。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2016年2月16日に掲載されたものです。