オリンピックという緊急事態

東京大学 政策ビジョン研究センター 特任研究員
太田 響子

2016/2/22

2012年ロンドンオリンピック 開会式 リハーサル Photo by Matt Lancashire - P7252708 (2012)

2020年の夏、日本は重要な緊急事態を迎える。東京オリンピック・パラリンピックの開催である。それは、普段でさえ過密かつ繊細につながり合っている大都市機能の上に、圧倒的な数の人、異なる言語、取引や契約、時間的正確さ、メディアの注目、といった様々なプレッシャーが短期間で加わることを意味する。これは十分な異常事態といえるし、当然そのための危機管理が求められる。

オリンピックのような大規模イベントの危機管理といえば、大会そのものの警備やサイバー攻撃対策がすぐに思い浮かぶが、より広い国家のリスクや危機管理という観点からの議論とはなかなか関連づけられない。ここではこうした狭い意味での危機管理である大会警備を超えた、より広範な国家レベルのリスク対応・危機管理という観点から、オリンピックの開催を考えてみたい。東京という首都におけるオリンピックを考えてみることで、国家レベルの危機管理に新たなヒントが見つかるかもしれない。糸口として、2012年に世界で初めて3度目の近代オリンピックを開催したロンドンおよびイギリスのケースを見る。

2005年7月のロンドン同時爆破テロで爆発したバス
Photo by JR Woodward - london bombings (2005)

イギリスも日本と同様に行政機構の分掌・タテ割り問題を抱えている。しかし、危機管理のための共通基盤としてナショナル・リスク・アセスメントがある1。リスク・アセスメントは通常、異常気象や鉄道事故、感染症やテロ攻撃といった個々のリスクについて、一定期間に発生する可能性と影響力の大きさを測定する。イギリスでは、2000年前後に洪水やストライキ、口蹄病といった事件があり2、社会に大きな影響をもたらした。その教訓から、2004年に危機管理に関わる一括法である「民間緊急事態法」が制定され、その下で国(各省庁)と地方(各地方政府や公共機関等)のあらゆる関係機関が連携する枠組み作りが模索されてきた。

イギリスのナショナル・リスク・アセスメントは、2年に一度、内閣府の民間緊急事態事務局の支援のもと、今後5年間に発生する数十種類の主要リスクの評価を省庁横断的に行わせ、1冊の報告書にとりまとめたものである。これを共通のエビデンス(根拠)として関係政府機関・公共機関が各々、あるいは連携して、危機管理の責務を負うことになる。ロンドン・オリンピックでは、このリスク・アセスメントのサイクルを応用し、「オリンピック版リスク・アセスメント」を実行した。まず、警察や医療、交通といった国レベルの関係機関が集まり、オリンピック特有の緊急事態の想定とリスクの定義を行う。次に、この想定に対し、関係機関や主務官庁の対応能力がどのくらい不足しているのかを分析する。そうしてこのギャップを埋めるための計画策定と能力開発を遂行したのち、再度、その集合的な対応能力を査定するというプロセスである。すでに通常のリスク・アセスメントの経験があったとはいえ、構想に1年、実施に2年、オリンピックのおよそ3年前から準備している。

一方で開催都市ロンドンにおいても、33の区と大ロンドン市、警察・消防・救急等の緊急サービス、および電気・水道・交通等の事業者の間でチームが組まれ、オリンピックに向けたリスク・アセスメントや、情報共有、事態対応の計画策定が行われた。チームは中央政府レベルの担当者とも日常的な情報共有関係を築きながら、例えばロンドンの交通に不慣れな外国人を含む大量の人々が一斉に特定の駅に移動する、といったオリンピック特有の脆弱性の評価や、そのための訓練を重ねていった。個々のリスクについての考え方や対応策については、必ずしも一枚岩とはいえないものの、共同作業の第一歩として様々な機関による異なる考え方を共通の土俵で突き合せた。

逆説的ではあるが、「オリンピック版リスク・アセスメント」で明らかになったのは、オリンピックだからといって新しい種類のリスクというものは存在しないということだった。しかし、先述の駅の例が示すように、通常とは発生場所が異なり、脆弱性が異なり、被害の大きさも異なる。したがって、やるべきことは新しいチームを次々と立ち上げることではなく、オリンピック特有の偏りに備えた、既存の連携体制の見直しと強化であった。

オリンピックは確実に発生し、通常とは異なる影響力を生む「緊急事態」である。イギリスではこうした認識が共有されていたために、まさにこの起こるべき事態に十分に対応するという具体的なターゲットが各機関の間で共有されたと言える。関係者によれば、この経験がオリンピック後のロンドンのレジリエンス(緊急事態への柔軟な対応能力)を高めることにもつながったという。例えば、オリンピックに向けて準備する過程で、電力、通信、水道、救急サービス等のユーティリティ間に相互依存性があることが初めて関係者の間で共有された。オリンピック後はこの共通認識を基に、それぞれのユーティリティが失われた場合、相互依存的な影響がどう広がるのかを可視化する作業が進められている。

さて東京はどうだろう。法律、ガバナンス、それぞれのステークホルダーの連携と責任関係など課題は山積している。オリンピックという社会的に最大の注目度を持つイベントをテコにして、より長期的な日本のレジリエンスのあり方についての議論を喚起することも必要だと思う。2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、「予測可能な緊急事態」である。残された4年半でやるべきことは多くあるが、その先を見据えれば少子高齢化や財政赤字、大規模災害といった、より重い、起こりうるリスクがある。こうしたリスクが、いついかなる時に、どのような場所・形態で起きたとしても対処できるよう、日本という社会の横断的なリスク管理能力を高めていかなければならない。


脚注

  1. イギリスの公開版ナショナル・リスク・アセスメント(National Risk Register 2015)
    https://www.gov.uk/government/publications/national-risk-register-for-civil-emergencies-2015-edition
  2. 2000年の石油タンクローリー運転手のストライキによる燃料危機、同年秋の英国北部での大規模な洪水、2001年に英国全土に広がり畜産・観光・食料供給に打撃を与えた口蹄病、2002年から2003年にかけての消防組織の争議行動による消防機能の麻痺。

参考リンク