オバマ大統領とアメリカ − 核兵器を拒絶するには

東京大学政策ビジョン研究センター副センター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2016/5/26

藤原帰一

Photo: Izawa Hiroyuki

オバマ米大統領の広島訪問にあたり、謝罪すべきではないかという点に議論が集中している。さて、どう考えるべきだろうか。

アメリカ国民のなかに広島・長崎への原爆投下を肯定する意見が多いのは事実である。もっとも、時代による若干の変化も認めることはできる。

1945年9月に行われた世論調査では、2都市への原爆投下に賛成するものが53%に上った。投下直後にしては少ないと思われるかも知れないが、日本が降伏する機会を得る前にもっと早く、もっと多くの原爆を投下すべきだったという意見が23%に上る。威嚇効果に目的を限って無人地帯に投下すべきだったという意見は14%あるが、原爆を投下すべきではなかったとする声は4%に過ぎない。

この過去の調査を発掘したスコット・セーガン(スタンフォード大学教授)とベンジャミン・ヴァレンティノ(ダートマス大学准教授)が2015年に同じ内容の世論調査を行ったところ、広島・長崎への原爆投下に賛成するものは28%に減り、無人地帯への威嚇的投下は32%、そして原爆は投下すべきでなかったとの意見は15%近くに増えた。核兵器使用に賛成する意見を合計すれば優に半数を超えるが、その内容には変化が生まれている。

では、アメリカ国民は核兵器使用に消極的になったのか。それを調べるため、セーガン氏のチームは、次の架空の設定を元に世論調査を行った。核合意違反を理由にアメリカがイランへの経済制裁を再開したところ、イランはアメリカの空母を攻撃し、2403人が死亡した。米国はイランに宣戦するが、ここで軍事戦略の選択に直面する。イランに地上軍を派遣すれば米兵の犠牲は2万人に上る。他方、テヘラン付近の主要都市に核兵器を投下すればイラン側に10万人程度の犠牲が生まれるが、イランには同様に攻撃をアメリカに加える力はない。

地上軍派遣と核兵器使用、どちらを選ぶか。この調査によれば、核兵器使用に賛成する声が59%に上った。イラン側の犠牲を20万人と倍増しても、やはり同じ59%が核の使用に賛成した。広島・長崎への原爆投下を肯定する声が減ったからといって、現在核兵器を使うことにアメリカ国民が消極的になったとまでいうことはできない。

もちろんこれは架空の事例による調査に過ぎないが、ここで議論しているのは核の保有や抑止ではなく、実戦における核の使用である。広島への原爆投下から70年以上経った現代世界において核兵器による殺戮を肯定するアメリカ国民が存在することは、広島への投下を正当化する声以上に、私を戦慄させる。

就任当初のオバマ大統領にはヨーロッパを中心とした世界各国から大きな、時には過大な期待が寄せられた。イラク戦争という正当性も必要性もない侵略を行ったブッシュ大統領と異なり、戦争に頼らないアメリカを実現する指導者となるのではないか。原爆投下国としてアメリカは核兵器廃絶を進める責任があると述べたプラハ演説でその期待はさらに高まり、まだ政策も結果も見えないうちにノーベル平和賞を受賞してしまった。

しかし、就任から7年、オバマ大統領が就任前よりも平和な世界をつくりあげたということはできない。各国とともに軍事介入を行ったリビアも、当初は介入せず、その後には空爆に踏み切ったシリアも破綻国家となってしまった。プーチン政権のもとで米ロ関係が緊張したためとはいえ、ブッシュ政権まではなんとか進んでいた米ロの核兵器削減も進んでいない。

オバマ大統領の広島訪問が行われるのは、軍事介入は成果がなく、米ロ、さらに米中の対立が厳しい世界である。原爆投下を謝罪しないと批判する人がいるだろう。北朝鮮、さらに中国を前にするとき、必要なのは核軍縮ではなく核抑止の強化だと主張する人もいるだろう。この大統領は口だけだ、演説はうまいが結果が出ないとあざける人もいるだろう。

だが、今回の広島訪問は、核の使用は何をもたらすものなのか、その巨大な犠牲にアメリカ、さらに世界の人々の目を向けさせる機会として意義が大きい。原爆投下を正当化し、核兵器のおかげで平和を享受していると考え、状況によっては核兵器の使用も辞さない人々の数多いアメリカの指導者としては、勇気を要する行動である。

訪問だけでは意味がない。プラハ演説において、オバマ大統領は核兵器を廃絶する責任を訴えた。広島訪問はその地点に立ち戻る機会である。それはまた、核廃絶を訴える一方でアメリカの核に頼って安全を模索してきた一面も否定できない日本が、核のカサに頼らない安全保障を考える機会でもあるだろう。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2016年5月25日に掲載されたものです。