アメリカの人種対立 − 多様性の尊重に揺らぎ

東京大学政策ビジョン研究センター副センター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2016/7/21

藤原帰一

Photo: Izawa Hiroyuki

アメリカ社会は人種差別から解放されたのだろうか。それに疑いを投げかける事件が続いている。

7月17日、ルイジアナ州バトンルージュで銃撃事件が発生し、警官3人が死亡、3人は負傷した。それより10日前の7日、テキサス州ダラスで警官を狙った狙撃事件により5人が殺害された。どちらの事件でも容疑者と目されたのは黒人青年であり、警官を狙った銃撃であると考えられている。

警官が銃撃された背景には、警官によってアフリカ系のアメリカ国民が射殺された数多くの事件があった。その中心が、ファーガソン事件である。

2014年8月、ミズーリ州ファーガソンで、18歳の黒人青年マイケル・ブラウンが警官ダレン・ウィルソンに射たれ、死亡した。この事件が発生した直後からファーガソンの町では抗議運動と暴動が続いていたが、同年11月にウィルソン警官が刑事訴追を免れると、ファーガソンばかりでなく、各地でも抗議がわき起こった。

2年前の2012年には、フロリダ州で、アフリカ系のトレイボン・マーティンが自警団長ジョージ・ジマーマンによって射殺された。この事件に無罪判決が下りたのをきっかけに、警官による黒人への暴力に抗議する、「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」運動が生まれることになった。

スマートフォンによってファーガソン事件の現場を撮影した映像が拡散したこともあって、ブラック・ライブズ・マター運動は全米を席巻した。2014年8月にはファーガソンに向かって全国から行進するという、まさに1960年代公民権運動を思わせるようなイベントも展開された。

それでも、警官によって黒人青年に暴力が加えられる事件は後を絶たなかった。今年7月だけでも、ルイジアナ州、さらにミネソタ州で黒人男性が射殺されている。

ダラスとバトンルージュにおける警官への銃撃は警官による一連の黒人射殺に対する復讐だった。暴力行使を認めないブラック・ライブズ・マター運動から警官銃撃というテロ行為にエスカレートしたのである。

50年代後半、マーチン・ルーサー・キング牧師の指導によるモンゴメリー・バス乗車ボイコット運動などを皮切りとして、アメリカでは公民権運動が高揚し、南部地域における人種隔離政策は後退した。しかし、公民権法が定められた後もクー・クラックス・クランのような白人至上主義団体や白人警官による暴行が続いた。68年にキング牧師が暗殺されるとアメリカ各地で暴動が起こり、黒人運動の一部は武力闘争路線に向かった。

オバマ大統領が就任してから7年経った現在、人種差別は既に公の場から退いている。だが、アメリカの人種対立が解消されたとはいえない。アフリカ系アメリカ国民の平均的な所得や教育はいまなお低く、黒人を犯罪者の予備軍と見なす警官も少なくない。白人から見れば自分たちの命を守る警察が、黒人社会にとっては生命を奪う存在なのである。

一部の警察が黒人を射殺し、それに反発した一部の黒人が暴力に走るだけでも憂慮すべき事態であるが、問題はそれだけではない。人種差別を否定し、社会の多様性を認めようという、少なくとも60年代末期から半世紀にわたってアメリカ社会の公式の立場となってきた考え方に対し、白人社会のなかに隠微な不満が生まれているからである。

オバマ大統領の導入した医療保険制度、オバマケアに対する共和党の反発のなかには、貧困層の医療をどうして豊かなわれわれが負担しなければならないのかという、隠された差別意識があった。共和党大会において大統領候補指名を手にしようとしているドナルド・トランプ氏は、オバマ大統領がブラック・ライブズ・マター運動に肩入れしているとの発言を繰り返している。

そのトランプ氏の選挙集会では、ブラック・ライブズ・マター運動が発言を求め、「USA」と連呼する観衆によって押し返される光景が繰り返された。トランプ氏を支持する観衆にとっては、差別の残存ではなく、差別があるという主張が問題なのである。

公民権運動の高揚する60年代、黒人作家ジェームズ・ボールドウィンは「次は火だ」というエッセーを発表し、白人エリートにも黒人の過激主義にも与することができず、キリスト教の教えにも救いを見いだせない、黒人としてアメリカに生きることに伴う絶望的な怒りを伝えていた。

ボールドウィンは、白人も黒人もともに変わらなければ差別は撤廃できないと考えた。では両者が変わることをやめたとき、何が起こるのだろうか。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2016年7月20日に掲載されたものです。