トランプ氏と世界 − 民主主義が招く「犠牲」

東京大学政策ビジョン研究センター副センター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2017/1/4

藤原帰一

Photo: Izawa Hiroyuki

 2016年は、国際政治が動揺した1年だった。

 イギリスでは国民投票で欧州連合(EU)から離脱を求める声が多数を占め、キャメロン首相は辞任した。

 ロシアは、西側諸国による経済制裁をはね返すかのようにウクライナ東部における事実上の進駐を保持しつつ、シリアで空爆を繰り返した。ロシアの支援のもとで巻き返したアサド政権を中心とした勢力は、いまアレッポにおいて人道的災害と呼ぶべき殺戮を展開している。

 東アジアの混乱も大きい。北朝鮮はミサイル実験を繰り返し、核実験も再開した。中国による南シナ海進出が続いていることはいうまでもない。

 このような世界状況のなかで、ドナルド・トランプがアメリカ大統領に当選した。トランプ政権の誕生によって、この不安定は安定に向かうだろうか。私はそう考えない。

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 まず、トランプはかつてのレーガン大統領のように、選挙戦中は過剰なレトリックに頼っても当選した後は堅実な政策に転じるだろうか。レーガンは、大統領となる前に2期8年にわたってカリフォルニア州知事を務め、大統領就任後は共和党主流派とも安定した関係を築き、また知事時代も大統領時代も、部下に権限を委譲するのが巧みであった。だが、トランプには公職に選ばれた経験がなく、今回の選挙戦からもわかるように権限を委ねることが不得手であり、またホワイトハウスと閣僚の人事を見る限り、共和党主流派の受け入れにも消極的である。トランプにレーガンの再来を期待するのは希望的観測と呼ぶほかはない。

 対外政策では中国に厳しい。台湾の蔡英文(ツァイインウェン)総統に電話をかけ、「ひとつの中国」政策に疑問を投げかけた。これを選挙戦の頃から中国の為替操作や対米貿易を批判してきた延長と見ることはできるし、中国に対する懸念は日本やオーストラリアなどアメリカの同盟国に共有されている。習近平(シーチンピン)国家主席と親交のある中国大使を任命するなど、強硬策ばかりではない。それでも、大統領就任前から貿易問題と台湾問題の両方で中国を牽制するのだから、これまでの米中関係の転換を辞さないトランプの指向は明らかである。

 半面、国務長官にロシアとの関係の深いエクソンモービル会長レックス・ティラーソンを任命したことに見られるように、ロシアへの接近が目立つ。クリミアを併合しウクライナに武力介入を行ったロシアにアメリカが接近すれば、ロシアを警戒する北大西洋条約機構(NATO)諸国はもちろんアメリカ議会とも対立は避けられないだろう。

 対中政策と対ロ政策に共通する特徴が、これまでの合意や慣行に縛られることなくアメリカ外交を見直すという姿勢である。それはまた、環太平洋経済連携協定(TPP)から、さらに北米自由貿易協定(NAFTA)からの離脱を求める姿勢、さらにNATOや日米安保などの同盟において同盟国の負担を増やそうとする姿勢と共通するものである。アメリカを再び偉大にするというかけ声の下で、トランプはこれまでの国際合意や制度を新たな交渉の対象にしようとしている。

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 無政府状態と言われることの多い国際政治であるが、各国の間における公式の国際協定や非公式の国際合意も存在しており、それが国家間の対立をある程度予想のつく範囲のなかに押しとどめる役割を果たしてきた。同盟を定める安全保障条約も貿易に関する国際協定もその典型である。

 一般に国際合意は、それが結ばれた時点において力で優位に立つ国家に有利な条件を提供することが多い。それだけに、中国やロシアのようなアメリカにキャッチアップを図ろうとする側がこれまでの国際協定や合意の見直しを求めるのはまだ理解しやすい。だがここでは、力で優位に立つアメリカのほうが従来の国際合意の見直しを求めているのである。

 アメリカが国際合意や国際制度から離れてしまえば、国際関係の見通しは不透明となり、混乱が深まることは避けられない。もともと自由貿易も同盟もアメリカに有利、というよりアメリカにとって力の源泉とも呼ぶべき制度であった。同盟国の結束を弱めつつ中国に強硬姿勢をとり、同盟国の反対を押し切ってロシアに接近することは、世界各国はもちろんアメリカ自身にとっても賢明な選択ではない。

 トランプを選んだのはアメリカ国民であり、EU離脱を求めたのもイギリス国民であった。そして、アメリカ国民もイギリス国民も、自らの選択の犠牲となる可能性が高い。2016年の政治は、デモクラシーと外交の残酷なパラドックスを示している。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2016年12月21日に掲載されたものです。