国連による平和構築 − 過大な目標は捨てよ

東京大学政策ビジョン研究センター副センター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2017/1/25

藤原帰一

Photo: K.yamashita

 現代世界で国際連合はどんな役割を担っているのか。その実情を伝える事件が、南スーダンへの国連の関わりである。

 南スーダンは、長期にわたる南北の内戦の後、和平合意と住民投票を経て、2011年にスーダンから独立し、国連とアフリカ連合(AU)にも加盟国として認められた。だが、独立後の南スーダンでは不安定が続く。南北国境でスーダン政府軍との戦闘が再開したばかりか、13年のクーデター未遂事件後には南スーダン国内で内戦が勃発した。

 国連は独立後の南スーダンに派遣団(UNMISS)を送って平和維持に当たり、12年には日本の自衛隊も加わった。だが、内戦後に派遣団を増強したものの南スーダン情勢の悪化が続き、一般国民の殺害や少年兵の軍事動員も伝えられた。

 16年12月、退任を控えた潘基文(パンギムン)国連事務総長は、南スーダンでジェノサイド(集団殺害)が発生する危険を安全保障理事会に訴え、英仏両国の賛同を得たアメリカは南スーダンへの武器禁輸などを含む決議を求めるが、安保理は可決しなかった。棄権した諸国には中国、ロシア、日本のほか、アンゴラやセネガルなどのアフリカ諸国も入っていた。

*

 日本では、南スーダン情勢は主として自衛隊派遣、ことに武器輸出三原則との関係を中心に議論されてきたが、ここには別の問題がある。これまでのところ、南スーダンの平和構築における国連の成果が乏しいのである。

 東西冷戦の終結は、国連の役割を拡大する機会となるはずであった。冷戦下における国連平和維持活動とは米ソの関心が乏しい紛争に集中していた。冷戦の終わりによって安保理がそれまでよりも実効的に平和構築に取り組むことが期待された。

 だが国連は、ルワンダの大量虐殺、さらにボスニアのスレブレニツァにおける虐殺を阻止することはできなかった。その苦い経験を踏まえ、カナダ政府のイニシアチブのもとで「保護する責任」という理念が打ち出される。一定の要件が満たされた場合、武力紛争のもとに置かれた文民を保護するため、国際社会による軍事介入を行うことが認められた。

 「保護する責任」が成果を上げたとはいえない。リビアに飛行禁止区域を定めた11年3月の決議は「保護する責任」をもとに武力行使を認めた初めてのものだが、軍事介入によってカダフィ政権は倒されたものの、その後は武装勢力による戦闘が続き、多くの難民が生まれた。シリアの場合、アサド政権による虐殺、さらにISIS(いわゆる「イスラム国」)の暴力が広がりながら、国連が実効的な関与を行うことはできなかった。現在の南スーダン情勢は、平和構築の挫折の長い歴史のなかに位置づけられる。

*

 それでは国連の介入をもっと強化すべきだろうか。南スーダンへの武器禁輸を決議すべきなのか。私は必ずしもそう考えない。

 国連は大国の参加と協力によって機能する存在であり、それ自身は大きな力を持たない。まして、ウクライナ介入後のロシアが欧米諸国と対立を深めるなか、国連が役割を広げることは難しい。

 また、「保護する責任」原則の正当性を認めたとしても、南スーダン、リビアやシリアのような戦闘地域において文民を保護するためには、相当規模の兵力が必要となる。国連加盟国がそのような兵力を派遣する意思を持たなければ平和構築を実現できない。誤解を恐れずにいえば、現在の国連にはその力はない。

 国連の介入を実現可能な目標に絞ることが必要なのではないか。私は自衛隊も含め南スーダンへの派兵は必要であると考える。同時に、ジェノサイド防止を目的とする大規模な軍事介入は実現が難しく、それに失敗すれば国連の信用がさらに損なわれるとも考える。潘基文事務総長時代の国連はその失敗の繰り返しであった。

 南スーダン武器禁輸決議に棄権した諸国は、政府側と反政府側との間に結ばれた和平合意がまだ放棄されていないことを、棄権する根拠のひとつとしていた。ここに見られるのは、武力によって粗暴な勢力を排除するのではなく、その土地の勢力の賛同を得ながら漸進的に平和構築を行うアプローチである。

 粗暴な武装勢力の存在を前提とするのだからモラルに反するかも知れない。だが、動員可能な力の限られた国連にとって、過大な目標を掲げて失敗するよりも漸進的アプローチの方が現実的ではないのか。新たな事務総長アントニオ・グテーレスのもとで国連が取り組むべき課題がここにある。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2017年1月18日に掲載されたものです。