災厄と評論 - 霧の中で選択肢探る

法学政治学研究科教授
藤原帰一

この記事は朝日新聞夕刊の『時事小言』
2011年4月19日に掲載されたものです。

 2011/4/25

かつてない震災と原子力発電所事故を前に、多くの発言が重ねられた。震災直後には亡くなられた方々を悼み被災者を心遣う言葉があふれ、政府や東京電力への批判は少なかった。日本はまた立ち上がる、気落ちしないで頑張ろうという呼びかけの陰で、原発事故拡大への懸念は危機を煽(あお)る行為として厭(いと)われた。事態を招いた責任追及よりも対処する国民の結束が求められていた。

震災からひと月以上が経ちながら、原発事故の被害は拡大する一方だった。事件の報道も、政府と東京電力の責任追求に一転する。震災が不可抗力であるとしても原発事故には人災としての側面があるからだ。国民の結束に代わり、政府や東京電力の無能と情報隠蔽を指弾する声が高まった。想像を超える犠牲を前に、やり場のない怒りと不満が噴き出した印象があった。

状況の展開に小突き回されるように言論が揺れ動く。当然といえば当然だろうが、目の前の事態が激しく動くときに言論まで浮き足立っては仕方がない。震災後の日本が変わる、また変わらざるを得ないことには疑いない。だが、正すべき問題を自分が捉えているのか、それとも状況に流されて思いつきや偏見を並べているだけなのか、私には自信がない。

政治家や官僚は、どのような政策が実現可能なのか、選択の幅がどれほど広いのか、知ることができない。何が可能で何が不可能なのかがわからないまま、前も後ろもわからない霧に包まれたなかで、人々の生活を左右する政策選択を強いられるのである。

そのなかには誤った状況判断によって実施された政策もあるだろう。太平洋戦争でいえば、その時には避けられないと考えられた戦争も、後から見れば避けることのできた、そして避けるべき戦争であったものに映る。時間が経って始めて、その時々に妥当と思われた決定や行動に潜んでいた誤りが明らかとなるのである。

学者の本業は、すでに終わった事件や決定を跡づけることだ。霧が晴れ、資料も揃い、何が可能で何が可能ではないかがはっきりした時点で議論するのだから、頭が良さそうにも見えるだろう。だが、その頭の良さは役立たずと表裏の関係にある。現場で選択を迫られたときに学者が適切な判断を下すことができるとは考えにくい。

時事評論は、後出しジャンケンの特権を捨て、実務家と同じ「現在」における選択を議論する空間だ。「現在」の言論を支配する共通了解、社会通念、あるいは偏見に自分もとらわれたままで議論する危険は免れない。実務家とともに霧のなかのピエロを演じることにもなるだろう。実際、同時代に書かれながら後の時代の検証に耐える時事評論は、ごく少ないのである。

試みに三〇年前の総合雑誌を開き、そこで行われた議論を見れば良い。その議論のどれほど多くが冷戦という枠組みによって縛られていることか。さらにいえば、その時代を見つめるよりも、ひと時代前の観念を当てはめて解釈を気取っている文章の方が多い。冷戦に縛られた考え方は、冷戦が終わってからも実に長い間、総合雑誌を支配してきた。時事評論とは現在を語るのではなく、過去を現在に当てはめる文章の別名ではないか。書き手としては、それがこわい。

それでは、過去を振り返るのではなく、現在に身を置いて、その場での選択を語ることはできるのか。政策提言などとたいそうな物言いをする前に、そもそも霧のなかで選択肢を考えることはいったい可能なのだろうか。

『時事小言』は、福沢諭吉が評論に付した題名のひとつである。なかには、脱亜論を典型として今なお論争を呼ぶものが含まれ、時代を感じさせる文章も少なくない。だが、執筆から百年近くを経た今も、福沢の言葉の緊張感には揺るぎがない。自分の言葉で考えることのよろこび、いわば悦ばしき知が、どの文章にもあふれている。

もちろん福沢を気取る資格は私にはない。それでもこの題を選ぶのは、書かれてから遠く隔たった後でも読むに耐える時事評論があり得ることを『時事小言』が示しているからだ。同時代に身を置いて現在の意味を探ることができなければ、学者をする意味はない。

考えるべきことは多い。自民党政権が倒れて政権交代が実現しながら日本の政治に新しい可能性が生まれた手応えはない。震災を転機として日本の再生を求める議論は多いが、震災前の安定を取り戻せば事足りるのか、廃炉を含めた根本的転換が必要なのか。私自身をとらえる通念や偏見を突き放し、何ができて何ができないのかを考えること、それがこのコラムの目的である。