大国の条件とは何か - 世界に関心持ち続けてこそ

法学政治学研究科教授
藤原帰一

この記事は朝日新聞夕刊の『時事小言』
2011年7月20日に掲載されたものを元にしています。

2011/7/25

国際政治における大国の条件は何か。軍事力や経済力だけでは十分ではない。国際経済はもちろん安全保障においても、現在の国際政治では複数の諸国が戦略的決定や実施に関わることが多い。どれほど軍隊や経済が強くても、数多くの諸国と手を組んだ大国を敵に回せば勝ち目はない。ここで必要となるのは、軍事力や経済力に加え、世界諸国を引き寄せるリーダーシップと信頼である。

冷戦終結後のアメリカは、そのよい例だろう。旧ソ連解体後のアメリカは軍事力でも経済力でも世界各国を圧倒する地位を占めた。これだけ強ければ、世界諸国はアメリカに従うほかに選択がないと考えても不思議ではない。ブッシュ(子)政権は、同盟国の協力を確保することのない単独行動に向かってしまった。

だが、アメリカの力を支えるのは、その国力に加えて諸外国の信頼であり、アメリカと行動を共にする意志である。ブッシュ政権による単独行動は、ドイツやフランスと深刻な亀裂を生み、結果としてアメリカの影響力は衰えてしまった。後を継いだオバマ政権は、単独行動のために衰えた影響力を回復するため、米欧関係の修復に努めざるを得なかった。

さて、日本はどうだろう。東日本大震災後に世界各国から寄せられた支援は、日本への関心と共感が保たれていることを示している。戦後日本が、経済援助や人道支援を通じて築いてきた国際的な信頼の賜物だろう。日本を仲間として受け入れる世界諸国が、日本の対外的な影響力を支えている。

だがその日本では、世界を知ろうという関心が衰えているように思われてならない。

7月9日、南スーダンが独立した。内戦によって膨大な人命の失われたスーダンで、南部が分離独立したのである。残念なことに日本ではこの事件の報道も少なかったが、その南スーダンのすぐそば、ソマリアを中心とするアフリカの角で干魃が発生し、1千万人規模の人々の生命が危機に瀕していることは当初はまるで報道されなかった。同じ時、イギリスのBBC、アメリカのCNN、ニューヨーク・タイムズなど日本国外の報道機関は、アフリカ東部の干魃を繰り返し伝えていた。内外の報道の落差は明らかだった。

アメリカやイギリスが偉いとか進んでいるとは必ずしも思わない。国境を越えた人道的責任という考えの裏には、国境を越えて政府が活動することを当然として受け入れる意識がある。ソマリア難民を自国の事件のように報道するBBCの態度には、人道的な関心ばかりでなく、世界の辺境を自国政府の関わるべき領域と見なす植民地帝国以来の大国意識が覗いている。

だが、その態度、自分の国で発生したわけではない事象に対しても関心を抱き、情報を収集し、何が出来るのかを考える態度こそ、世界諸国を引き寄せる力を備えた大国の条件に他ならない。国外の情勢に無関心な国家は、どれほど軍隊や経済が強くても、国際政治において責任ある行動を取る大国としての信頼を得ることはできない。

新聞でもテレビでも、現在の日本では国際報道の出番は少ない。伝えられるのは日米関係と東アジア、それも日本の政局と関わりの深い普天間基地問題などが圧倒的である。

昔からそうだったわけではない。1980年代、石油危機からいち早く立ち直った日本では、海外における経済活動の拡大と並行して国際報道の拡充が続いた。日米関係と東アジアに偏る特徴は当時にも見られ、アフリカやラテンアメリカへの関心は決して高くはなかった。それでも、国外情勢を正確に知らなければ日本が成り立たないという感覚があったのも事実だろう。日本経済の世界化が、国際的関心の拡大を招いたのである。

だが、90年代の半ばから経済が失速し、企業も海外拠点を撤収してゆくと、国際情報への関心も衰えてしまった。かつて世界一を記録したこともある海外への経済援助は減少に向かった。自民党政権の不安定化、政権交代後の政情不安、さらに東日本大震災が、内政重視の報道姿勢をさらに強めてしまった。世界諸国から信頼を集めながら国外の情勢に関心の薄い日本が、こうして生まれる。

軍事的にも経済的にも、現在の日本は世界の大国である。大国という地位は、自分の国だけでなく、現代世界の抱える課題に取り組む責任を伴い、また責任を果たしてこそ大国として諸外国にも承認され、信頼を受けることができる。経済の衰えた日本は見向きもされない、みんな中国を向いているなどと愚痴をこぼす前に、われわれがどれほど世界を知ろうとしているのか、見つめ直す必要があるだろう。