ウォール・ストリート占拠 - 組織不在の21世紀革命

法学政治学研究科教授
藤原帰一

この記事は朝日新聞夕刊の『時事小言』
2011年10月18日に掲載されたものを元にしています。

2011/11/1

私たちはいま、革命の時代を生きているらしい。それも、何から何へ変わるのか、さっぱりわからない革命だ。

ウォール・ストリートを占領する運動を最初に知ったのは、インターネットのツイッターだった。誰かの呼びかけが次から次へとリレーされ、遠く離れた日本にも伝わってくる。多くの人が集まっているのに新聞やテレビは報道しない、主流派の報道は偏っているなどというコメントもついていた。

実際、ニューヨーク・タイムズを始めとする主流派メディアは、この占拠運動を当初は黙殺していた。だが、ウォール・ストリートそばの公園に居座る人々が増え、ノーベル賞を受賞した経済学者スティグリッツも集会で演説するという事態を迎えると、まずアメリカ国外のメディアが注目し、最後にはアメリカのメディアも大きく取りあげた。インターネットから始まった運動がマスメディアも無視できない事件に発展した。

反響は世界に広がる。10月15日土曜日にはロンドン、メルボルン、そして東京でも集会が催され、ローマで暴動にまで発展する。ツイッターの数も読み切れないほど激増し、各地の集会の模様はユーチューブを通して同時中継される。それらを拾い読みしながら、世界同時多発革命を目撃するような、不思議な気持ちに駆られていた。

2011年初めにチュニジア、そしてエジプトで起こった政権崩壊でも、似た展開があった。フェイスブックやツイッターに始まる運動が拡大し、主流派メディアに伝わり、諸外国に広がっていったからだ。このときにもインターネットを経由した革命などという議論が行われた。

それでも、チュニジアやエジプトの革命の場合は、中東や北アフリカなど、専制支配の下に置かれた地域のできごとだった。ところが、議会制民主主義が定着しているはずのアメリカで起こったウォール・ストリート占拠運動が、エジプトのムバラク政権崩壊と似た展開を示しているのである。

日本でも似たことがあった。尖閣諸島問題を巡る民主党政権の動揺を糾弾する勢力の街頭デモ、原子力発電の全廃を求める街頭デモ、政治的立場ではおよそ逆のこの二つのデモは、ツイッターでは盛んに伝えられながら主流派メディアの報道からほとんど無視された点では同じだった。これはいったい何だろう?

まず、中心となる政治勢力が存在しない。既成政党の支持組織と異なる運動という意味で言えば、政治的立場は逆になるが、アメリカのティーパーティー運動とウォール・ストリート占拠運動には似たところがある。でも、ティーパーティー運動の場合、既成の政治とは異なる政治家を議会に送り込もうという具体的な政治課題があり、2010年の中間選挙で大きな影響力をふるうことになった。ところがウォール・ストリート占拠運動を見れば、アメリカの社会格差を告発し、銀行や大企業への救済処置に反対するという立場が明確に見えるとはいえ、それを主導する勢力ははっきりしないし、次の大統領選挙で誰を推薦するのかなどという具体的な選択は見えてこない。ツイッターやユーチューブを見る限り、主体も要求もバラバラだ。

20世紀の諸革命、たとえばロシア革命や中国革命の中心にボルシェヴィキや中国共産党があったことは明らかだろう。それまでの専制支配を倒した組織が、その専制支配をさらに上回るような抑圧的体制をつくりだすことでも、20世紀革命には共通点があった。

ところがエジプト革命でもウォール・ストリート占拠運動でも、膨大な群衆が集まり、国際的に運動が波及しているのに、中心となる政治組織はない。それでもエジプト革命ではムバラク退陣という要求が共通していたが、占拠運動にあるのは現在の経済社会と政治社会への告発であって、目的を実現するために誰に権力を委ねるのか、その政治的選択は見えてこない。

組織の不在と政策の空白は裏表の関係にあると私は思う。多様な考えを持つ人々が集まるためには争点を絞らなければならない。フェイスブックやツイッターを見て集会に参加した人々が、特定の政治勢力に加わる意志を持っていたとは考えにくい。インターネットを経由して結ばれた社会連帯の中心は空白なのである。

国境を横断して、膨大な数に上る人々が、現代資本主義経済に異議を申し立てる。まさに世界革命のような事態が起こっているというのに、それがつくりだす政治の形は、まるで見えてこない。そこで明らかなのは、議会制民主主義をとる諸国においても、既成の政治が吸収していない膨大な不安と不満が鬱積していることだ。その危うさ、恐ろしさだけは政治家の皆さんに見ていただきたい。