破綻国家 拡大の危機 - 緒方氏の営為が教えたもの

法学政治学研究科教授
藤原帰一

この記事は朝日新聞夕刊の『時事小言』
2012年1月24日に掲載されたものを元にしています。

2012/2/9

飢餓の広がる国があれば、食糧支援を考えるだろう。その食糧の提供が現地の武装勢力によって阻まれたなら、武装勢力の排除をその国の政府に求めることになるだろう。では、それが期待できない状況はどう考えれば良いだろうか。仮にその政府に武装勢力を阻む意志があったとしても、武装勢力の活動を抑制する力を政府が持たない場合、飢餓を阻止するためには、どのような選択が残されるだろうか。

これは架空の事例ではない。2011年、ソマリアを中心とする東アフリカ地域に、過去60年間に例がないと伝えられるほどの大規模な干魃が襲いかかった。国連は同年7月にソマリア南部の一部を飢餓地域と認定し、国際機関、各国政府やNGOなどによって食糧支援が企画された。

だが、ソマリア南部を実効支配するイスラム武装勢力シャバブは、国際援助団体に活動禁止を命じた。それも武力によって援助物資の輸送を阻むばかりでなく、その現場から活動家を誘拐するなど、極度に粗暴な方法による人道支援の妨害が続けられた。

ソマリア政府はシャバブ弱体化を目的とする介入を繰り返したが、成果は限られたものに過ぎなかった。この状況を前に、赤十字国際委員会は、今年1月13日、ソマリアへの食糧輸送の中止を発表した。武装勢力の実力行使を前にして、人道支援が中断を強いられたのである。

ソマリアばかりではない。学者や実務家は、国内を実効的に統治する力を持たない政府とその下の社会のことを脆弱国家とか破綻国家などと呼んでいるが、そのような破綻国家は、ソマリアの他にも南北スーダン、チャド、コンゴ民主共和国など、数多くの地域に広がっている。北朝鮮などの強権的な国家が国民生活を脅かしているとすれば、破綻国家の下では国家の不在こそが国民を苦しめる元凶であると言ってよい。破綻国家はまさに人間の安全保障が奪われた状況そのものであり、人道的支援はもちろん、状況によっては軍事的介入も必要となる。だが、問題の根源に、政治権力の不在があるために、たとえ軍事介入を行ったとしても、その成果は保障されない。

武装勢力を倒すことに成功したとしても、その後の治安をどのように保つのか。政府の機能しない地域に対し、国外からの介入によって安定した統治をつくることなど、いったい実現できるのか。さらに、関与するための財政的・軍事的負担も大きい。長期にわたる派兵が必要となるからだ。

その結果、国際機関やNGOの強い要望にもかかわらず、各国政府の取り組みは消極的になってしまう。ソマリアにおける事実上の無政府状態は1991年から10年以上続いているが、92年に開始された国連による平和維持活動が失敗に終わって以来、実効的な介入は行われていない。

そしていま、破綻国家が拡大する危険が生まれている。アラブの春などと呼ばれたような中東・北アフリカにおける一連の民主化が進むなかで、地域によっては権力の真空が生まれる可能性があるからだ。

NATO(北大西洋条約機構)軍介入後のリビアでは、暫定政府こそ発足したものの、カダフィ政権に抵抗する過程で大量の武器が国民に流れ、その回収が進まないなか、すでに民兵の間での武力衝突が続いている。エジプトとほぼ同じ時期に民主化運動が高揚したイエメンでは、サレハ大統領が退陣を発表したものの国防相が襲撃されるなど混乱が続き、アルカイダ系武装勢力が首都サヌア付近まで勢力を拡大したと伝えられている。

アフガニスタンとイラクも、民主化が脆弱な国家をつくった事例だろう。戦争によって独裁は倒せても、安定した統治をつくることはできないからだ。アフガニスタンでは軍事介入で倒されたはずのタリバンが勢力を広げ、米軍撤退後のイラクでも政情不安定と大規模テロ事件が続いている。独裁政権の下で苦しめられた国民が、今度は無政府状態と暴力によって苦しめられてしまうのである。

破綻国家への関与はリスクが高いため、国際的な支援を続けることは難しい。だが、何もしなければ飢餓が広がり、多くの難民が生まれてしまう。アフガニスタンやイエメンのように、破綻国家のなかにテロ組織が拠点を構える危険もある。破綻国家を放置する危険は大きい。

放置を拒んだ一人が緒方貞子氏である。国連難民高等弁務官として難民支援を続け、国際協力機構の理事長として日本の紛争地域支援の先頭に立ってこられた緒方氏のもとで、アフガニスタンやスーダンに対する国際支援が続けられてきた。人々を見捨てないことが可能であることを、緒方氏の営為が教えている。