違いの見えない政党 — 現実追随に染まる不幸

法学政治学研究科教授
藤原帰一

2013/1/7

Photo by AP/AFLO

選挙は国民の審判。では、来る12月の総選挙で、何を選ぶのか。そこがわからない。

政党の選択としてみれば、今回の選挙が持つ意味は大きい。民主党が過半数を占める可能性が低いため、与野党が交代する、政権交代の総選挙になるからだ。

だが、選挙には政策の選択という意味もある。そしていま、与党民主党と野党の自民党・公明党は、消費税増税に関する3党合意を結び、その合意の履行として衆院解散が実現した。国家財政の基本について違いのない政党を選ぶ選挙には、どんな意味があるのだろう。

いや、民主や自民で政党を考えるからいけないのだという声があるかも知れない。既成政党ではない、新しい風が日本の政治に求められているのだ。日本維新の会、太陽の党、みんなの党、ほかにも数多い小政党やミニ政党の一群の支持者のなかにはそんな意見もあるだろう。

だがここでも、政策の違いについてははっきりしない。社民党や共産党のように政権の獲得よりも政治への異議申し立てを目的とする政党であれば、1票を入れる意味があるかどうかはともかく、政策の違いは鮮明になる。だが、「第三極」として注目される政党の多くを見れば、民主党や自民・公明両党との政策の距離は、思いがけないほど近いことが分かる。

日本維新の会の場合、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加と増税については民主党との重なりがあるものの、消費税か地方税かでは分かれ、脱原発についても民主党よりも明確だった。だが既に解散の決まった太陽の党との合同を協議するなかで脱原発方針はやや後退し、与党との違いが縮まった。みんなの党は増税反対で一貫しているが、まさにそのために第三極に向けた党派再編成から取り残されようとしている。

今回の総選挙は、政府の政策を推し進めようとする民主党と、政策に違いは少ないが政権は手にしたい自民党・公明党、そして民主党よりも党勢を拡大するためには政策での妥協を繰り返してもやむを得ないと考える第三極諸政党の争いである。与党との政策の違いが強く見られるのは、政権の獲得よりも党の独自性を打ち出そうとする政党に限られているのが現状である。

思えば民主党が政権を獲得した2009年、内政・外交の両面で民主・自民両党の違いは鮮明だった。そして鳩山政権、菅政権、野田政権と続く民主党の3政権において、「選挙の時の民主党」は「自民党のような民主党」に変貌していった。私はマニフェスト違反をことさらにあげつらおうと思わないが、「選挙の時の民主党」の掲げた政策とは票集めのための方便に過ぎなかったという印象は免れない。

「自民党のような民主党」を受け入れない反主流派は次々と民主党から離れていった。だが、それらの離反者が訴えるTPPや消費増税への反対には、政権を期待できないからこその主張というもの悲しさがつきまとう。そして、第三極政党は政権獲得を目指せば目指すほど民主党との違いが見えない方向に収斂してしまう。

かつての日本政治には与党が自民党に決まっているというリアリズムがあった。2009年の政権交代から3年を経た日本政治に見えるのは、どの政党が与党でも政策には変わりがないという新しいリアリズムである。

選挙のために掲げられたスローガンが実現しないのも無理はない。膨大な財政赤字を抱えるなかで増税の検討は避けられないだろう。経済成長のために自由貿易が欠かせない以上、TPPであれ他の形態であれ、貿易自由化の交渉に日本が加わらないという選択は考えられない。中国の対外政策が懸念される状況において、国防の一端をアメリカの核抑止力に頼る日本が日米同盟を重視するのも当然だ。与野党の政策にリアリズムが見られることは歓迎すべきなのかも知れない。

だが、リアリズムの過剰にも注意しなければならない。景気後退の中で増税すればさらに景気は後退し、税収も減ってしまう。自由貿易が望ましいとしても国際競争力の乏しい部門への打撃は避けなければならない。中国の脅威は現実であるが、軍事的対抗だけで対中政策を考えるならば緊張をさらに拡大し、経済的逼迫と地域秩序の混乱を生む懸念がある。慰安婦問題に関する河野談話撤回のような歴史問題における強硬姿勢をとれば、中国ではなく日本が国際的に孤立することにさえなりかねない。

現実追随と現実無視の両極に分解した政治は不幸だが、現実追随に一本化した政治はさらに不幸だ。政策論争とは、「現実」の中に潜む多様な選択の検討であることを忘れてはならない。

この記事は朝日新聞夕刊の『時事小言』
2012年11月20日に掲載されたものを元にしています。