サッチャーとその時代 — 貫いた中産階級の視点

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2013/5/7

EPA=時事

先日死去したイギリス元首相のマーガレット・サッチャーとは、どういう人だったのだろう。それをうかがわせる一つの挿話がある。

友人に誘われて、サッチャー首相がコンサートに赴いたことを回顧録で触れるなかで、教会音楽を好きだと友人が覚えていてくれた、それが嬉しかったとサッチャーは書いたのだが、回顧録の書評はそこをつかまえて、ヘンデルもパーセルも区別を立てずにまるごと「教会音楽」などという言葉に押し込めても恥ずかしいとは思わない、そこがいかにもサッチャーらしいと記していた。

その通りだ、と私も思った。食料品店を営む親のもとに生まれたサッチャーは、同僚の保守党や労働党の議員のように出自に恵まれたという人ではない。オックスフォード大学を卒業してはいるが、大学では哲学や歴史のような人文的教育ではなく、自然科学を専攻している。家柄に恵まれ教養豊かな伝統的なイギリス政治家なら古典音楽の蘊蓄(うんちく)を傾けるだろうが、サッチャーは違う。その回顧録は自分が何をしたのか、何が問題だと考えどのような決定を行ったかという記述に埋め尽くされ、チャーチル回顧録のような気取った文体は見ることができない。

だが、サッチャーの教養の欠如を見下したかのようなこの書評は、いかにも意地が悪い。ヘンデルとパーセルをまとめて教会音楽と呼んでも別にいいじゃないか。そして、教養の欠如などを指摘されてもそれを恐れないのがサッチャーだった。身分と学歴で人を差別するような階級社会のなかで、教養などに顧慮することなく中産階級の視点に終始したのである。

サッチャーは信念の政治家であり、見方を変えれば幅の狭い政治家でもあった。サッチャーの信念は小さな政府であり、財政支出の削減、経済規制の緩和、そして労働組合との対決という路線もそこから生まれた。自分と異なる信条の持ち主と対話することは少なく、政治的な妥協をきらう。サッチャー時代のイギリスが紳士の妥協よりも信念の対立と闘争によって彩られるのは当然だった。

福祉国家の見直しを求めたサッチャー政権の政策は経済格差の拡大を招いたが、サッチャーが富裕層を代弁したとは必ずしも言えない。むしろ、貴族でも労働者でもない中産階級の視点に終始することがサッチャーの本質であり、そこに新しさがあった。

第2次世界大戦後のイギリスでは労働党が政権を掌握し、福祉国家が樹立された。だが、政治の担い手が労働者だったわけではなく、貴族や富裕層、学歴ではオックスフォードやケンブリッジの卒業生が政治家や高級官僚を独占し続けた。労働者とは縁遠い人々によって福祉国家が支えられたのである。

イギリスの中産階級から見れば、これは社会主義に影響されたお金持ちの坊ちゃんと既得権の擁護ばかりに走る労働組合によってイギリスが破壊される過程にほかならなかった。過度にリベラルなエリートと政府に寄生する組合に立ち向かった点において、サッチャーは中産階級のチャンピオンだったのである。

サッチャーの首相就任はイギリス政治の転機となった。60年代のイギリスは野放図に自由なファッションやポピュラー音楽で世界をリードする一方、経済は失速し外交でも主導権を失った。サッチャー政権以後のイギリスは文化的な発信こそ衰えたものの、経済的には再生した。フォークランド戦争はイギリスの愛国心を鼓舞するとともにサッチャー再選のきっかけとなった。

当初はサッチャー路線との対決に走った労働党も政策を転換し、ブレア政権にみられるように小さな政府路線との妥協に向かった。イギリスばかりでなく、アメリカ、さらに日本を含めた世界各国に、サッチャー政権の施策が巨大な影響を与えたことは否定できない。

だが、サッチャーが首相を退任してから20年以上が経った今、その功績は色あせようとしている。現在のイギリスでは、保守党・自由民主党連立政権の実施した緊縮財政は、いまのところ経済停滞を招くだけで終わっている。フォークランド戦では消極的な軍を押し切って戦争が進められたが、この文民指導者が戦争を求める構図はその後のアフガニスタンとイラクへの派兵に引き継がれ、多大な犠牲を招くことになった。

短期的にはイギリスを再生したサッチャー路線も、長期的には賞味期限を迎えた。新保守主義とも呼ばれる政治潮流を引き起こしたサッチャーが息を引き取ったとき、その潮流も確実に過去のものとなっていた。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に
2013年4月16日に掲載されたものです。