翻訳文化の時代が過ぎて — 日本語への引きこもり

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2013/6/19

photo by Ryoma. K

西欧と肩を並べる国家形成を目指して以来、外国文化の吸収は近代日本の課題だった。科学技術だけではない。旧弊に閉じこもった日本を変えるためには欧米諸国の政治制度やその基礎にある価値観を学ぶ必要があるという自覚が、近代日本の知識人を支えてきた。

外国の言葉を話し、その知識や文化を伝える官僚、知識人、そして大学が西欧化の担い手になった。外国語を話さない国民には翻訳を通してその成果が紹介された。翻訳を読むだけで外国に発信することはできないし、外国語で意思を伝えることのできる官僚や学者は稀だったから、文化の流入は一方通行だった。とはいえ、外に目を開くことがなければ日本の変革があり得ないという感覚が多くの国民に共有されていた時代はあった。

高校生の頃から、私は翻訳文化を好きになれなかった。外国から学ぶとはいっても、何を翻訳するか、それを選ぶ過程には翻訳者の裁量が働くため、もとの文化とどこかに隔たりが生まれてしまう。外国紹介を仕事にする大学教師が特権を振りかざすのも妙なことに思われた。

だが、国外に目を開くことに意味がないと思ったわけではない。翻訳を通すことなく原語を通して外国に学ぶ、いや、ただ学ぶのではなく、同じコミュニティーの一員として外国の人々と議論し一緒に仕事をするのが当たり前ではないか。翻訳文化とはその状態に変わる前の過渡的な現象に違いないと思っていた。

実際、翻訳文化とその時代は過ぎ去った。だが、代わって訪れたのは原語を通し国境を超えて議論を行う空間ではなく、日本語を読み、日本語で考え、翻訳された文章さえもあまり読まない空間だった。

日本が経済成長を遂げ、欧米を模倣する時代は終わったなどと叫ばれた石油危機以後の時代、人文主義の古典をたたえ大衆文化を蔑視してきた教養主義が崩壊に向かった。別に教養主義がなくなっても外国から閉じこもる必然性はない。だが、ベートーベンの代わりにプレスリーやビートルズを聞く世代もやがて高齢を迎え、外国映画にはお客が集まらず、ヒットするのはJ—POP、翻訳物で売れるのはミステリーかビジネス指南という時代に突入した。教養主義のハイカルチャーの崩壊は、ハイカルチャーとマスカルチャーを併せた外国文化からの撤退と重なっていった。

翻訳文化はファッションのように身にまとうだけで定着などはしなかったと皮肉に構えることもできる。ベートーベンを聴いた学生も中年になれば黒田節を唸ったのだろうし、旧制高校でデカルトとカントとショーペンハウエルを読んだ人たちは自滅的な戦争を支える一員に加わった。外国語離れという指摘も間違いかも知れない。仕事の現場で外国語を使う人はむしろ昔より増えているはずだ。外国の専門誌に掲載された論文を読まない自然科学者に仕事ができるはずもない。

それでも、政治や社会を考えるときに日本語で書かれたもの、それも翻訳ではない日本語の文章を読み、ほかの言語で書かれたものを読まずに考える人々が異様に膨れあがったのは事実だろう。第2次世界大戦中のように政府によって強制されるからではなく、日本の外に広がる意味空間を、自分の選択によって排除するのである。

アメリカ人だって英語だけで勉強するひとがほとんどなのになぜ日本人が外国語を読まなければいけないのかと言う人がいるだろう。だがイヤな言い方を承知で言えば、外国語、特に英語で書かれた文章は、質量ともに日本語で構成された空間とは比較にならない。東西冷戦終結後の四半世紀、ヨーロッパでも韓国でも中国でも英語で構成された空間のなかで活動する人々が急増した。英語を母語としない人も英語で発信し、学術成果を発表するのが当たり前になった。英語を使わないと仕事にならないのだから無理もない。

ところがその時代の日本は、以前よりも日本語の世界に引きこもっていった。経済成長も達成し国内だけで大きな市場を持つのだから外国に目を向けなくても生きていける。英語を使わなくても豊かな生活を保持できるのは幸福だと言うこともできるだろう。しかしその幸福は、ものを知り、考え、議論する空間が日本語の世界に縛られるという犠牲と引き換えに得られたものだった。

翻訳文化と教養主義の復活を求めるのは時代錯誤に過ぎない。だが、言語は思考を拘束する。日本語のみに頼ることで私たちの知識や思考が狭められていないのか、日本が世界の内弁慶に陥ってはいないのか、改めて考える意味はあるだろう。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に
2013年6月18日に掲載されたものです。