今夏も誓う廃絶の願い — もはや核は中心でない

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2013/8/30

AFP=時事

広島と長崎に原爆が投下されてから、日本では毎年のように核兵器廃絶への願いが誓われてきた。だが、核廃絶を求める声の半面には、核兵器に頼る国防がある。

米国の核兵器によって他国による侵略を防ぎ、日本国民の安全を保つ。ここにあるのは、日米同盟と米国の核兵器を軍事的威嚇の中心とする政策、すなわち核の傘への依存である。核廃絶を求めながら核の傘を受け入れる二重性が、冷戦期から現在に至る日本政治に流れている。

それでは、核兵器に頼らなければ日本の安全を保つことはできないのか。北朝鮮の核開発や日中両国の軍事的緊張を前にして、どのように東アジアにおける核兵器の削減を考えることができるのか。湯崎英彦広島県知事の呼びかけに応じて2013年7月29日と30日に開催されたひろしまラウンドテーブルのテーマはそこにあった。ギャレス・エバンス元オーストラリア外相、川口順子元外相、沈丁立復旦大学教授など内外から多くの識者の参加を得ることができた。

この会議においてプリンストン大学のジョン・アイケンベリー教授と私が共同で提出したペーパーでは、東アジアにおける核軍備管理の提言を行った。世界規模における核軍縮の提案は川口・エバンス構想を始めこれまでにも例はあるが、軍事的緊張を抱える地域に関する提案は少ない。私たちの課題は、軍事的緊張があるから核管理は無理だと断念するのではなく、逆に軍備管理交渉を緊張緩和と信頼醸成の手段として用い、東アジアにおける国際的な緊張がより大規模な紛争に発展することを防ぐことにあった。

難しい作業には違いない。まず、核軍備管理が核軍縮ではなく、まして核廃絶ではないことへの異論があるだろう。アメリカと中国が現在保有する核弾頭の数に大きな格差があるため、中国を核兵器削減のプロセスに招き入れることは極めて難しい。アメリカが核兵器削減に向かうなら同盟国はアメリカが守ってくれないと考えて独自の軍拡に進む可能性も残される。核に頼る安定を核に頼らない安定に反転するためにはいくつものハードルを越えなければならない。

これらの点はペーパーを準備する過程でも自覚していたが、会議のなかで改めて認識を新たにした点がある。核兵器は既に各国の安全保障において中心的な役割を失いつつあるということだ。

中国政府による軍備拡大はよく知られているが、その重点は海軍、航空機、そしてミサイルに置かれ、核兵器の世代更新の優先順位は必ずしも高くはない。北朝鮮を典型として、現代世界で核兵器を重視する諸国は、通常兵器による国防を期待出来ない諸国に集中している。最大の核保有国であるアメリカでも、無人攻撃機の開発や使用が頻繁に行われる一方、核兵器の世代更新が進んでいるとはいえない。

それどころか、キッシンジャー元国務長官やペリー元国防長官など、平和主義とは対極に位置する人々からも核の削減と将来の廃絶が呼びかけられている現状である。オバマ大統領がプラハとベルリンで行った演説もこの流れの中で捉えるべきであろう。それは核廃絶という理想だけではなく、核兵器の国防上の重要性が減少し、核開発よりも核拡散の防止のほうがより重要となった現代国際政治の特徴を反映しているのである。

重要性が減ったからといって核廃絶を期待できるわけではない。米ロ両国の核軍縮交渉も米ロ両国の他国に対する核の優位が保たれる限度でしか進んでいない。さらに、核保有国の微妙な力の均衡が国際関係を支配する限り、核の削減が国際的不安定を拡大する懸念もある。

それでも、安全保障における核兵器の相対的重要性の低下は、核に頼る平和を変える機会は提供するだろう。拡大抑止、すなわち軍事大国が自国だけでなく同盟国への攻撃の抑止も図る戦略はこれまで核の傘と同じ意味に用いられることが多かったが、この会議の議論では拡大抑止と核の傘の区別に議論が集中した。傘が要るとしても核でなければならないのかという問題提起である。

冷戦期に恐れられたのは核兵器を用いた米ソ両国の戦争だった。ここでは核兵器が重要だからこそ核軍縮の必要性が叫ばれた。核兵器の役割が減ることは通常兵器による軍拡さらにその行使の危険を伴うために手放しで歓迎することはできないが、これまでにない核削減の機会が生まれたと考えることも可能だろう。核廃棄の願いと核抑止への依存の二重性を克服するために、核削減を実現する方策をこれからも探っていきたい。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に
2013年8月21日に掲載されたものです。