備忘録その1
東アジアの金融協力の行方
−チェンマイ・イニシアティブのマルチ化を巡る交渉を中心に−
(はじめに)

東京大学政策ビジョン研究センター教授
篠原尚之

2015/11/19

財務官退官後、2010年から2015年2月まで国際通貨基金(IMF)副専務理事を務めていた篠原尚之教授が、在任時を振り返って語る「備忘録」シリーズ。
第一回となる今回は、チェンマイ・イニシアティブ(CMI, Chiang Mai Initiative)についてです。チェンマイ・イニシアティブとは、2000年にタイのチェンマイで日中韓とASEAN諸国で合意されたもので、危機時に域内国の二国間で通貨交換の形で米ドルの短期的な供給を行うという、通貨スワップ取極のネットワークのことを言います。1997年7月よりタイを中心にアジア各国の通貨が急激に下落し、アジア各国が大きな経済的打撃を蒙ったアジア通貨危機を踏まえ、締結されました。
チェンマイ・イニシアティブは2010年にマルチ化し、それまでの複数の二国間契約が一本の多国間契約に発展し、支援がさらに円滑化されました。この記事は、マルチ化を巡る各国の思惑と交渉、特に、日本を上回る拠出割合(意思決定の際の発言権のウェートに影響)を主張した中国と、中国以上の拠出額を主張した日本がどのように交渉していったのかということを中心に、東アジアの金融協力の軌跡を追い今後の展望を考えるものです。(末尾に目次あり)

篠原尚之教授(写真撮影:山下加代)
1975年東京大学経済学部卒業。同年大蔵省(現財務省)に入省。1979年プリンストン大学ウッドロー・ウィルソン・スクール修士課程修了(MPA)。成田税務署長、ハーバード大学CFIAアソシエート、国際金融情報センター(JCIF)ワシントン事務所長、埼玉大学政策科学研究科客員教授、主計局調査課長、主計官(文部科学技術担当)、アジア開発銀行日本代表理事、国際局長などを務めた。2007年から2年間、財務官を務め、G7・G8、G20、ASEAN+3などのプロセスに財務大臣代理として参画した。財務省退官後、2010年から15年まで、国際通貨基金(IMF)の副専務理事として、加盟国の経済サーベイランス、IMFの資金基盤や融資制度の強化などの諸課題に携わった。

はじめに

チェンマイ・イニシアティブは、東アジアにおける域内金融協力の象徴である。域内のある国が、対外支払いに支障をきたすような流動性の困難に直面した際に、他の域内国が米ドルを融通するという「相互扶助」のメカニズムであり、各国の外貨準備という第一線準備、IMFというラスト・リゾートを補完する、第二線準備(セイフティ・ネット)である。

1997年に勃発したアジア通貨危機は、まず「アジア通貨基金(AMF)」構想を生んだが、これは早々にとん挫した。こうした経験を踏まえ、日中韓とASEAN諸国は、危機時には、域内国の二国間で、通貨交換(借入国通貨とドルのスワップ)の形で米ドルの短期的な供給を行うという、二国間通貨スワップのネットワークを構築した。2000年5月のタイ・チェンマイでの第2回ASEAN+3財務大臣会合で合意したことから、「チェンマイ・イニシアティブ」(CMI、Chiang Mai Initiative)と呼ばれる。2003年末までには、当初想定していた8カ国(日中韓とASEAN5)間で16本の二国間通貨スワップ取極が締結され、当初想定していたネットワークを完成させた。

その後、CMIを強化するための議論が続いた。2009年5月には、より発展した枠組みとして、「チェンマイ・イニシアティブのマルチ化」(CMIM, Chiang Mai Initiative Multilateralisation)が合意され、翌年発効した。多数の域内参加国が単一の通貨スワップ取極に合意しマルチのメカニズムとすることで、参加国が保有する外貨準備を危機時に一斉に円滑に他の域内国に動員することが可能となった。また、ASEAN5以外の5カ国も新規に参加し、ASEAN+3の全13カ国が参加するスキームとなった。域内国の経済サーベイランスを行う組織も設立された。

CMIに合意した2000年頃は、東アジア地域の貿易・金融における日本の比重が依然として極めて高かった時期である。CMIのマルチ化が発効した2010年は、中国のGDP(市場レートベース)が初めて日本を上回った年である。中国の存在感はますます高まり、東アジアの経済地図は大きく変化しつつある。東アジアの金融協力は、経済統合のプロセスではなく、相互扶助のメカニズムである。こうした協力は、今でも有効なのだろうか、どう進んでいくのだろうか。

本稿の主たる目的は、私の財務省時代の経験を基に、過去を振り返ってみることである。東アジアの金融協力について、アジア通貨基金(AMF)構想、CMI、CMIMと、時間の流れを追いながら経緯を辿り、今後の展望についても若干言及してみたい。

最初に触れておきたいのは、2009年、CMIのマルチ化に向けての各国間の交渉の最終局面である。もっとも厄介な問題は、特に日中間の拠出額(投票権シェア)をどうするかであった。

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