備忘録その2-2
リーマン・ショック前後の為替政策 (パリバ・ショックとサブプライム問題)

東京大学政策ビジョン研究センター教授
篠原尚之

2017/7/3

財務官退官後、2010年から2015年2月まで国際通貨基金(IMF)副専務理事を務めていた篠原尚之教授が、在任時を振り返って語る「備忘録」シリーズ。第二回では、2007年から2009年というリーマン・ショックを挟むこの時期を、主に為替政策の観点から振り返ります。

目次 [リーマン・ショック前後の為替政策]

1.はじめに

2.パリバ・ショックとサブプライム問題

1.G7Dリトリート
2.円キャリートレード
3.パリバ・ショック(2007年8月)
4.10月19日 G7財務相中銀総裁会合(ワシントン)
5.11月中のドル安・ユーロ高・円高
6.11月17-18日 G20財務相中銀総裁会合(ケープタウン)

3.ベア・スターンズ・ショック

4.リーマン・ショック(作成中)

パリバ・ショックとサブプライム問題

2007年8月7日、仏金融大手BNPパリバは、「米サブプライム問題により、3つのファンドの価格の算出、募集、償還を一時的に停止する」と発表した。この一見小さな事件は、国際金融を巡るフェーズが、「グレート・モデレーション」と呼ばれた超安定化の時期から、サブプライム問題の顕在化、国際的な金融不安の時期へと変貌していく過程の中で、市場のセンティメントをリスク回避へと大きく転換させる契機となる出来事であった。

1.G7Dリトリート

篠原尚之教授 経歴

G7財務大臣・中央銀行総裁会議(G7)の裏方として、G7 Deputies と呼ばれるグループがある。各国の財務大臣代理達の集まりである。通常は、電話やメールで連絡を取り合うが、G7会合を始め、各種国際会議の機会を捉え、年に何回か実際に会合を開いた。また、年に一度、通常初夏に、騒がしい会議の場を離れ、一泊で会合を開き、G7プロセスの抱える諸課題について在庫整理をするとともに、G7D間の親交を深める場が設けられていた。2007年は、ドイツがG7議長国であり、7月19日~20日にフランクフルト郊外のホテル兼ワインセラーで開催された。(翌2008年は、日本議長のもと、箱根でリトリート会合を開いた。)

私にとっては、財務官に就任して10日ほどでの会合参加であり、各国のカウンターパートと議論を行う絶好の機会であった。会合の内容には立ち入らないが、経済情勢に係る意見交換のほか、ヘッジファンドやソブリン・ウェルス・ファンドをめぐる問題、責任ある貸付(Responsible Lending)に係る新興市場国(特に中国やブラジル)の取り込み、IMFのクォータ改革、IMFの収益構造(支出削減への取り組み等)、IMF・IMFCのトップ問題、G7/G8の運営問題(ロシアやECの部分参加の在り方等)、リベリア等の国別問題などが話し合われ、これまでの課題の整理と、秋以降の諸会合に向けた準備を行った。

実は、私がフランクフルト空港を降りてすぐに向かったのは、リトリート会場ではなく、ECB(欧州中央銀行)にあるスマギ専務理事のオフィスであった。そこには、スマギのほか、ムスカ(フランス国庫総局長、ユーログループ財務相会合議長代理)とラウリー(米財務省次官補)がいた。ラウリーは、財務次官マコーミックの代わりに来ていた。G7Dの前に、主要3通貨当局間で、為替問題について意見交換をしようというものであった。

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ユーロ圏勢の議論の中心は、当時の円安問題であった。彼らは、円の「実質実効為替レート」の推移の表を用意していた。当時、日本円は対ドルで120円を超える円安水準であり、ユーロは、対ドルでも対円でもユーロ導入時以来の最高値を更新する状況が続いていた。また、円の「実質実効為替レート」は、かなりの円安水準であり、1985年のプラザ合意当時の水準近くまで円安となっていた。こうした状況は、2006年秋から特に顕著になってきていた。

(注)「実質実効為替レート」とは、円と主要な貿易相手国通貨との為替レートについて、相手国との物価の差を調整したうえで、貿易量のウェートで加重平均し、指数化を行ったものである。別掲の表は、1995年1月の値を100として指数化されている。名目実効為替レートとは、物価調整なしに、単に貿易量ウェートで名目レートを指数化したものである。

ユーロ圏勢の議論は、概要以下のようなものであった。米ドルは、経常収支赤字の状況下でドル安になるのは説明できるが、円は経常黒字が大きい(GDP比3.9%)中で円安というのは説明できない。世界的不均衡(global imbalance)是正の観点から円高となるべき。IMFの分析(CGER)でも、円は長期的均衡から15-30%乖離(円安)している。日本経済は、確かにインフレ率は依然低いが、実質成長は2%程度と欧米並みといってもいい状況になってきており、こうした状況が悪いと考える必要はない。日本への対内直接投資が円安にも関わらず進んでいないこと、自動車等貿易面での競合など、欧州内で政治的な問題にもなりつつある。「これ以上の円安は日本経済に好ましくない」とか、米国のように「強い円は日本にとって望ましい」とか日本側から言うべきでないか。これ以上円安が進むようだと、G7声明の為替のところを工夫する必要がある。

私の反論は概要以下のようなものだったと記憶している。現状は円安だけが一方的に進んでいるというより、ユーロ高・ドル安・円安が同時に起きているというべきである。特に、市場のボラティリティーが歴史的低水準にある現在、金利先高観が強い通貨(ユーロ)が買われやすいのは、致し方ないのではないか。また、中東やロシア・中国などの当局が、外貨準備の分散化(ユーロ保有の拡大)を表明していることも寄与していよう。円キャリートレードが現在の円安の背後にあるのは事実だろうが、我々は円安への誘導は一切していないし、自由で競争的な市場でレートは決められている。むしろ、キャリートレードに関し「市場が一方向に偏って行動することのリスクを認識すべき」とのメッセージを、市場に強く発信してきている。一週間前に、ユンカー・ユーログループ議長が「ユーロ高に不満を持っている国は、国内の構造改革を進めるべきだ」と議会証言したのは、まことに正しい。

米国は、ユーロ圏当局者からのユーロ高・円安に関する批判的な見方には距離を置いていた。米議会や自動車業界からは、円や人民元が安すぎるとの批判の声が出ていた。米議会では、7月には、中期的な均衡水準から過小評価されている通貨を対象に、米政府に是正措置を講ずることを求める「為替相場監視改革法案」が上院財政委で可決されていた。批判の主な対象は人民元であったが、円も対象となりうる内容で、ミシガン州出身の議員などの円安批判は強かった。これに対し、米政府は、円については、為替レートが自由で競争的な市場で決められており、日本は2004年3月以降為替介入を行っていないとして、議会の批判に応えていた(後述)。一方、人民元については、「人民元の柔軟性の拡大を促すのが米国の方針であり、短期的には人民元相場の一段の上昇、中期的には市場原理に基づく為替制度を実現すべき」と強く主張していた。

こうした日米欧の会話は、前年末頃から繰り返されてきていた。いずれにせよ、この時点で何か結論が出る話でもない。10月に予定されるG7に向け、市場の動きを見ながら議論を続けようということになった。なお、この面談の中では、人民元が最近元高のペースを上げてきていることをどう評価するかといった点も議論になった。欧州勢が当時の人民元高に一定の評価と期待を示したのに対し、日本と米国は中国の姿勢に変化を感じるのは時期尚早との立場であった。

円がかなりの円安水準にあったことは間違いないが、日本国内の声の大勢は、円は安いほうが良いに決まっているではないか、というものであり、円安是正を当局が誘導することなど考えられなかった。しかし、こうした「リスク・オン」の状況はいつまでも続かない。パリバ・ショックは間近に迫っていた。

2.円キャリートレード

当時の雰囲気を知る上で、2007年2月の米国上院銀行委員会公聴会におけるポールソン財務長官の発言をみてみよう。米国自動車業界が日本の為替操作を問題視しているがというある議員の質問に対する、ポールソン長官の答えの一部を要約してみる。「・・・日本円の動きを注意深く観察している。日本の財務大臣とはこれまでも話しているし、来週末エッセンでも会う。日本円は、貿易ウェート・ベース(注:実質実効為替レートのこと)で、20年来の円安水準にある。私が自動車業界に言ったのは、2004年3月以来日本は介入していないし、この一年ほど口先介入も行っていないことだ。・・・日本経済は成長が弱くデフレが続いてきた結果、金利は極めて低い水準にある。こうした経済ファンダメンタルズが円安の背景にある。・・・現在の円は、競争的な市場で決められている。」

さて、いわゆる「キャリートレード」と呼ばれる取引について、必ずしも一義的に定義が定まっているわけではないが、一般的には、低金利通貨(円、スイスフランなど)で資金を調達し、高金利通貨(米ドル、豪ドル、ユーロなど)で運用する取引といえるだろう。

当時、「円キャリートレード」の規模について、民間金融機関等で様々な推計が行われていたが、必ずしも市場の見方が定まっていたわけではなかった。例えば、JPモルガン銀行による当時の推計だと、合計で約40兆円の規模とし、うち、ヘッジファンド等の短期筋(典型的には、シカゴ商品取引所における非実需筋の円売りポジション)で数兆円、外国為替証拠金取引で1~2兆円、日本の個人投資家の外債投資で約30兆円などとしていた。これ以外に、日本の機関投資家の対外投資(ヘッジ付でない部分)や海外の家計(東欧では円建てで住宅ローンを借りる取引が人気であった)なども含めてよかろう。

こうしたキャリートレードの多くは、グレート・モデレーションの中で世界的に経済環境が落ち着いていること、日本の低金利は今後も維持されるだろうこと、などを背景に、内外金利差や為替相場の水準が安定的であり、リスク・ヘッジをする必要がないという、「リスクを認識しない」形の投資であった。従って、為替や金利水準に意図せざる反転が生じた際には、特に短期筋のポジションや外為証拠金取引は、素早く手じまいを行おうとして、為替の調整に「オーバーシュート」を生じさせ、市場を混乱させる恐れがあるとされた。

2007年2月9-10日にドイツ・エッセンで開かれたG7財務大臣・中央銀行総裁会議の声明をみてみよう。

『世界経済はより均衡のとれたものとなっている。G7経済は好調を持続。米国経済は順調であり、より持続可能な成長経路にお調整しつつある。カナダと英国は、・・・。ユーロ圏経済の回復の裾野は次第に拡大。日本の経済回復は順調であり、継続が見込まれる。我々は、こうした経済動向が意味するところが市場参加者に認識され、彼らのリスク評価に織り込まれるであろうと確信する。』

(第二段落は省略・・エネルギー価格、保護主義など)

我々は、為替レートは経済ファンダメンタルズを反映すべきとの考え方を再確認した。為替レートの過度の変更や無秩序な動きは、経済成長にとって望ましくない。我々は、引き続き為替市場をよく注視し、適切に協力する。多額かつ増加する経常収支黒字を有する新興市場エコノミー、特に中国の実効為替レートが、必要な調整が進むように変動することが望ましい。』

(後段も略・・地域債券市場育成、ヘッジファンド、開発など)

為替相場について論じた二段目の部分(実際は第三段落)は、三つの文からなり、2004年2月の米ボカラトンG7から全く動かない言わば「念仏」のようなものであった。世界経済情勢を論じた第一段落の最後の一文(下線付き)が、この時苦労の末挿入されたものであった。この文は、市場がリスクを十分に勘案しない取引に傾注することに警告を発したものであるが、この趣旨を為替の段落(第三段落)に入れることは、いわば円を狙い撃ちして円安是正を唱える形になる恐れがあることから、マクロ経済の段落に入れることで落ち着いたようだ。この部分の統一的なG7の言いぶりは、「我々は、様々な市場が、とりわけ為替市場が、一方向に偏って行動すること(one-way bets)のもたらすリスクを認識することが望ましいと考えている。」というものだった。また尾身大臣は、「日本経済は持続的な回復軌道にあり、為替相場はこうしたファンダメンタルズを反映すべきである。」とG7後の記者会見でも述べた。

もちろん、こうした声明の表現を工夫することで、市場のセンティメントが大きく動くことは考えにくいのだが、少なくとも、米欧当局がそれぞれの国内(特に産業界)における円安への懸念に配慮している姿勢を示す上では、若干なりとも役に立ったであろう。二か月後のG7声明(2007年4月:ワシントン)でも、同様の表現がとられた。

3.パリバ・ショック(2007年8月)

そして夏を迎える。前年(2006年)夏から米国住宅価格は下がり始め、延滞率の上昇など住宅市場の問題はある程度市場では認識されていた。一部に住宅ローン業者の破綻などもあった。しかし、米国の株価は順調に上がり続け、市場は安定していた。7月18日に、米ベア・スターンズが「参加の二つのヘッジファンドの資産価値がゼロとなった」と発表し、翌日バーナンキFRB議長が「サブプライム問題による損失は500~1000億ドル」と議会証言して以降、米国株価を中心に軟調な地合いが生じ、為替市場でも若干の円高ユーロ安の動きがあったが、市場のボラティリティーはさほど大きくなかった。円は、対ドル120円前後で推移していた。2017年8月7日の米国FOMCでは、政策金利を据え置いた。その声明では、足元の金融市場の変動に言及しつつも、米国経済は今後数四半期にわたり穏やかに拡大を続ける見通しだとし、成長の下方リスクは幾分高まったが、最も懸念するのは引き続きインフレ・リスクだと表明していた。   8月9日(木)、仏金融大手パリバは、「米サブプライム問題により、三つのファンドの価格の算出、募集、償還を一時的に停止する」と発表した。ここから急な円高やユーロ安、株安が進んでいく。パリバの発表当時、円は対ドルで119円50銭程度であったが、8月17日には、一時111円台を付ける(2006年6月以来の円高水準)こととなる。

同日(8月9日)、ECBは、パリバの発表を受けて、短期金融市場の流動性低下に対応するため948億ユーロの緊急資金供給オペを実施した。しかし、2001年9月の米国同時多発テロ時の供給額(693億ユーロ)を上回る額であったことから、かえって問題の根深さについて市場の憶測を呼ぶこととなった。翌日、米FRBは、「金融市場の秩序ある機能を支援するため流動性を供給する」との緊急声明を出し、資金供給オペを実施。市場は一旦落ち着いた。

14日(火)になると、米小売り大手ウォルマートの業績見通し下方修正公表をきっかけとして、米国個人消費への懸念が高まり、米株価が大幅下落を始めた。アジア株、欧州株にも下落が伝染。16日夕刻から17日にかけて、急な円高が進行し、16日朝方対ドルで116円台であった円相場(対ドル)が、17日夕には111円60銭となった。この日の日経平均は874円の下落で、年初来最安値(15,273円)を記録した。同17日NY時間に移り、FRBは「金融市場の秩序だった環境回復を促進するため、公定歩合を0.5%引き下げ、5.75%とする」と緊急発表した。これは、FRB貸出金利たる公定歩合を、「政策金利(FF金利誘導目標)+1%」から「+0.5%」へ引き下げるもの。その際のFOMC声明は、「金融市場の状況は悪化しており、融資状況の厳格化や不確実性の高まりにより、経済成長に対する下方リスクが目に見えて拡大している」とした。また、連銀の短期貸し出し期間を最長30日に延長し、市場の流動性対応に努めた。

この17日のFRBの動きを受けて、市場では足元の危機が一時的に回避されたとの認識から落ち着きを取り戻していった。一方、日銀は、8月23日の金融政策決定会合で現状維持(政策金利0.5%に据え置き)を決定。日銀総裁は、「日本経済は引き続き穏やかに拡大している」、「金融市場の変動はリスク再評価の過程であり、これが終わるには少し時間がかかる」等の認識を示した。8月末に向けて、円相場は115円前後へ回復し、株価も1万6千円台にもどった。(この時期の日経平均最高値は、7月9日18,261円。)

このパリバ・ショックの期間中、当局間で為替問題について緊急に会話をした記憶はない。私は、この期間の前半、お盆の休みでどこかの山中の温泉におり、携帯電話すら満足に通じなかった覚えがある。いずれにせよ、この時点の為替相場の動きに関して言えば、これまで増加していた円キャリートレードの巻き戻しが一部に生じ、いわばリスクのrepricingによって、市場のリスク評価のバランスが改善の方向に向いている(一方的なリスクテイクの調整)の面が強いと考えていた。シカゴIMMのポジションや日本の外為証拠金取引をみても、これに沿った動きをみせていた。

金融市場全体でみれば、世界的株安(証券化商品を含むリスク資産の処分、安全資産への逃避)、資金需給逼迫(投資家の解約のため、ファンドや金融機関による流動性確保の動きの加速)があり、その後のリーマン・ショック等で起きた「financial tsunami」に至る小さな第一波であった。

この時期は、サブプライム問題について勉強し、要路に報告するので忙しかった記憶がある。実は、私がサブプライムローンの件を初めて聞いたのは、2006年3月の第6回「日米財務金融対話・金融サービス作業部会」(ワシントン)の時であった。これは、2001年の日米首脳会談(小泉・ブッシュ)により合意された「成長のための日米経済パートナーシップ」のもとで設置された対話メカニズムの一つであった。私は当時財務省国際局次長として、米財務省ソーベル次官補代理とともに共同議長を務め、金融庁等両国の金融監督当局も含め、日米の経済状況や金融セクターの問題を話し合った。

会合の場で、当方から、米国住宅価格がかなり高い水準にあり、急激な調整が起こるリスクはないかとの点を話題にしたが、先方は、価格は今後横ばいないし穏やかな減速の可能性が高いとし、金融機関のリスク管理はしっかりしているという自信を見せた。

その後の非公式なランチの場で、確かOCCの人だったと思うが、住宅ローンの中でサブプライムローンが増えてきており、それらを証券化した商品(MBSやCDO)の取引も活発になってきており、監視していく必要があるといった話をしていた。

振り返れば、我々はある種の慢心に陥っていたと思われる。米国の金融システムは洗練されていると皆が信じていた。200年代初頭のドットコム・バブル崩壊後の不況が思ったほど大きくなかったことで、ショックは制御できるという感覚もあったように思う。

(注)サブプライムローンとは、低所得者等信用度の低い人向けの住宅ローンであり、2003年頃から、低金利や住宅価格の上昇を背景に拡大。通常のローン(プライムローン)に対する言葉。米住宅ローン市場の約1割程度を占めた。こうした住宅ローン債権は、ローンを貸出した機関からは売却され、それを束ねて担保とした証券(MBS:Mortgage Backed Securities)や、自動車ローンなど他の債権と組み合わせて担保とした証券(CDO:Collateralized Debt Obligations)として証券化され、世界中のヘッジファンドや金融機関に販売された。2006年後半以降の住宅価格の下落とともに、ローン延滞率が上昇、証券化商品の価格下落に繋がっていった。

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この2006年春は、米国住宅価格がピークに達していた時期であり、2006年後半から住宅価格は下落に転じ、サブプライムローンの延滞率が急速に上昇していく。2007年に入ると、4月にはニューセンチュリー社(サブプライムローン業者としては全米2位)がチァプター11を申請、7月にはベア・スターンズ傘下のファンドの破綻、カントリーワイド(住宅金融大手)が大幅な減益を発表、また、格付け会社が関連証券化商品の一部の格下げを実施するなど、キナ臭くなってきていた。

住宅ローンが劣化し、不良債権となり、貸出金融機関や住宅ローン会社が痛い目にあうこと、その調整には長い時間を要するだろうというのは、日本の1990年台のバブル崩壊の経験から分かることだった。日本の不良債権問題の金融機関・市場への伝播には一定の時間がかかった。一方、サブプライム問題の場合、証券化という手法ゆえに、それが直ちにグローバルな金融市場の急激な流動性収縮を招くことになるメカニズムについては、パリバ・ショックの時点では私の理解は十分に及んでいなかった。つまり、米国住宅市場の調整が、主として欧米金融機関の保有する住宅ローン担保証券(MBS)等の担保価値の下落を招き、或いは担保価値についての疑心暗鬼を市場(カウンターパート)に生じさせ、金融機関やファンドの資金調達を急速に困難にしてしまうというプロセスである。CDS(Credit Default Swap)市場の安易な活用、証券化商品に対する甘い格付け、銀行によるオフバランスシート取引の横行などが、リスク管理を事実上形骸化してしまうプロセスでもあった。ECBやFRBが、直後に大量の流動性供給措置をとったことは、当面の流動性の収縮を緩和しようとしたものであった。しかし、流動性の供給だけで、この信用収縮が解決されるのもではないことも明らかであった。

当時いろいろな人に意見を聞いて回ったが、サブプライム問題の世界経済への影響についての見方は、かなり楽観的であった。サブプライム問題は、金融問題であり、実体経済への影響は小さいとの見方が多くあった。一方、株価の下落や信用リスクの高まりから、実体経済に影響が徐々に及ぶとの見方もあった。サブプライム関連商品は複雑で開示が不十分との懸念から、影響の解消には時間がかかろうとする見方もあった。日本経済については、日本の金融機関のサブプライム関連のエクスポージャーは限定的であり、息の長い回復が継続するとの意見が大勢であったが、仮に世界経済の減速がある場合には影響を受けるので、注意深く見守るべきという感じであった。

為替市場の話に戻そう。この夏のイベントを境に、市場の動きは徐々に神経質になっていく。当時はリスク・オンとかリスク・オフという言葉はあまり聞かなかったが、市場ではリスク回避(リスク・オフ)のセンティメントが充満してくることとなる。その根底にあるのは、米国サブプライム問題の行方であり、関連証券化商品の実態、欧米金融機関がどのくらい損害を被っているかについての不透明感であった。

(注)サブプライム問題自体については、様々な研究成果もあり、ここで論じることはしない。ただ一点だけ言及したいのは、グローバル・インバランスの議論との関係である。当時の世界経済をみると、特に新興市場国の経常収支黒字が拡大し、実質金利は非常に低い状況にあった。アジアの新興国(含む中国)は、アジア通貨危機の教訓もあり、1990年代後半以降、膨大な外貨準備を積み上げた。こうした資金は先進国に流入し、その一部は家計レベルでの借金をエスカレートさせるのを助長した。グレート・モデレーションの中で、為替を含めたリスクへの感応度は低かった。大規模な住宅バブルは、米国だけでなく、イギリス、オーストラリア、スペイン、一部東欧など多くの先進国で顕著であった。このグローバル・インバランスの問題自体は、当時既にG7などでも、たびたび議論されてきたテーマではあった。

4.10月19日 G7財務相中銀総裁会合(ワシントン)

2007年9月になると、市場は落ち着きを取り戻す中、米国の景気減速に対する懸念等から、ユーロが特に米ドルに対し再び強くなりはじめた。9月20日には、ユーロはユーロ導入後初めて1ユーロ=1.4ドルを超えて上昇を続けた。

この時期、ユーロ圏の一部(特に仏・伊)からユーロ高への懸念発言が相次いだ。例えば、ラガルド仏財務相は、9月から10月初めにかけ、「円と人民元は、経済の実体に対して、明らかに過小評価されている。」「ポールソン長官は、強いドルは強い米経済に有益としているが、現在、ドルは長官が満足しないようなスピードで下落している。」と発言した。仏は、サルコジ大統領をはじめ、ユーロ圏の中でも強くユーロ高批判をしていたが、その背景には、本来重商主義的なお国柄であることに加え、ユーロ圏経済は全体として堅調である(ECBはインフレ懸念を持つ)にも関わらず、仏の経済成長や輸出が低迷していることがあったと思われる。現に、2006年の貿易収支をみると、ユーロ圏全体で対GDP比0.3%の黒字、独は6.8%の黒字であるのに対し、仏は1.4%の赤字であり、経済成長率も芳しくなかった。

他方、独や蘭等は、目立ったユーロ高懸念を表明していなかった。例えば、シュタインブリュック独財務相は、10月になり、「強いユーロを好む」「現在の為替レートの変動は、過去20年間の動向と比べれば、特別なことではない。変動幅は、これまで20年間の範囲内。」と発言していた。

10月に入ると、G7会合の声明に関する各国間の調整が始まり、会議当日まで続いた。声明の第一段落(世界経済情勢)では、米国の経済条項を順調であるとした前回の声明を弱める記述とすることについては、欧州勢はドル安容認につながる恐れがあるとして反対した。しかし、あまりに今後の経済成長に楽観的な記述とするのも問題であり、中庸をとるのに苦労した。為替についての段落では、欧州勢は、「さらなるユーロ高は経済にマイナス」との趣旨を特記することを望んだが、特定の通貨についてここまで踏み込んだ声明は近年例がないとして、日米は反対し、書き込まない形となった。

実際のG7声明(10月19日)を見てみよう。

『世界経済は、力強い成長が5年目に入っている。最近の金融市場の混乱、原油価格の高騰、米国の住宅部門の弱さは、成長を減速させるだろうが、我々の経済全体のファンダメンタルズは引き続き強く、新興市場国も、世界経済の強さに重要な刺激を与える。』

(第二段落省略:金融財政政策、保護主義への抵抗、援助など、政策面の課題総論)

『我々は、為替レートは・・・・(従前と同様の3文)・・。人民元の柔軟性を向上させるとの中国の方針を歓迎しているが、経常収支黒字が増加し、国内インフレが上昇していることに鑑みれば、人民元の実効為替レートのより早いペースでの増加を許容することが必要と強調する。』

第一段落(世界経済)については、従来書いてきたG7各国別の経済情勢に係る記述を止め、全体として順調であるが、ダウンサイドリスクがいろいろあるという書きぶりとなった。2月と4月の会合で挿入された市場のリスク評価(one-way bets)に係る記述(円キャリーを意識したセンテンス)も、市場の不安定な動きを反映し、削除した。為替部分(第三段落)の書きぶりは、従来から変更なく、2004年以降の表現をそのまま使った。

今回のG7で新しく出てきた要素は、当然のことながら、パリバ・ショックの際にみられた金融市場の混乱にどう対応していくかという点であった。

既に、8月16日付けで、仏サルコジ大統領は、G7議長国としての独メルケル首相(G7各国にも送付)あてに、書簡を送っていた。その中で、最近の金融市場の動きは、経済の堅調な成長に長期にわたって影響を及ぼさないとの確信を表明しつつ、今回の混乱から教訓を導き出すことが我々の責務であるとした。特に、市場の透明性の重要性にふれ、証券化によりリスクを最終的に負担するのが誰か非常に曖昧になったことが不安定の要因であり、リスクの適切な評価の手法を考えるべきこと、格付け機関の果たすべき役割について検討すべきことを挙げた。そして、10月のG7財務大臣会合で、各国から分析と提言をするよう求めた。

このサルコジ大統領の書簡は、格付け機関の話が突出している(仏は常々格付け機関が事実上米国に独占されていることに不満を言っていた)ことを除けば、もっともなものであった。10月G7会合の準備にあたり、各国はこの問題が技術的な面を含め、極めて複雑であることでは合意していた。一方、証券化を含む金融技術の進歩に対する考え方には、やや哲学的な溝があった。特に、米国にとっては、金融技術の進歩は経済成長に大いに寄与するというポジティブな哲学を維持し続けることが重要であるという印象であった。また、欧州を含め各国とも、基本的にこの問題は米国の問題であり、それが他の国に影響しているのだから、米国がしっかり対処してほしいという空気が強かった。いずれにせよ、短期間で処方箋について結論が出るような話ではない。金融安定化フォーラム(FSF)のドラギ議長に早急に今後の作業計画を作るよう依頼した。

実際のG7の金融市場問題に関する議論では、FSFでの作業に合意したほかは、今後議論していこうということで終わったように記憶している。まだ、鉄は十分に熱くなっていなかった。G7声明では、金融市場の混乱について、以下のようにまとめられた。

『最近の金融混乱への対応は、要因の十分な分析に基づいて行われなければならない。証券化と金融技術革新は、我々の経済成長に大いに貢献した。・・・金融安定化フォーラム(FSF)に対し、混乱の背景にある要因を分析し、流動性とリスク管理、金融派生商品の会計処理・価格評価、金融仕組み商品に関する格付け機関の役割・格付け手法及びその活用の在り方、並びにオフバランスの投資手法の扱いを含む、金融機関の監督に関する基本原則といった分野における提案を行うことを要請。・・・次回以降のG7会合における更なる報告を期待する。』

このFSFでの作業が、最終的には、リーマン・ショック後、2009年4月の第二回G20首脳会合(ロンドン)で合意される柱の一つになっていく。

5.11月中のドル安・ユーロ高・円高

パリバ・ショックを経て、115円(対ドル)程度で落ち着いていた円相場は、11月になると円高方向の動きが出て110円前後の水準で前後することとなる。ユーロも上昇は止まらなかった。ドル安(円高・ユーロ高)基調の相場は続いた。

ドル安の背景には、11月に入り、米シティグループ、モルガンスタンレー、英バークレイズなど、サブプライム関連の評価損計上の発表が相次いだこと、住宅価格の下落や原油高の影響もあり、消費等の米国実体経済にマイナスの影響が出てくると予想されたこと、FRBの一段の政策金利引き下げが見込まれることなどがあった。

円高の動きを加速していたのは、既にかなり高い水準になっているユーロと比べ、円には割安感があったこと、日本はサブプライム関連の影響が少なく、一時的な逃避通貨とみられていたこと、かつての円キャリートレードが復活する気配がなかったことなどであろう。

この時期のドル安の契機となったのは、11月7日付けの中国からの報道であった。中国全人代常務委員会副委員長が「中国は外貨準備を多様化し、ユーロなどの強い通貨の購入を増やすべき」と述べたというもの(のちに否定)であった。これを材料に、一時ドル全面安の展開となり、ユーロは再度既往最高値を更新し、1.47ドルまで上昇。円もそれにつられ一日で3円近く上昇することになった。外貨準備多様化の発言は、これまでも中国・ロシア・中東諸国からの報道として時々流れていた。外貨準備の通貨構成の変化は徐々に行われるものであり、外為市場の規模を考えると、その需給に与える力は軽微なものであるのだが、市場のボラティリティーが高い状況においては、時として相場に大きな影響を与え得るという典型例であった。

11月13日、フィナンシャル・タイムズ(FT)に、福田総理のインタビュー記事が載った。最近の円高が急激であることを警告したとする内容(「短期的には円高は確実に問題になりうる。」と発言など)であった。直ちに、ユーロ圏勢から、口先介入は問題であると抗議してきた。私からは、記事をよく読めば、為替相場の急激な変動は望ましくないというG7合意の趣旨を繰り返したのであり、長期的には円の上昇は否定されるべきものではないとの発言も記事に載っているではないかと反論した。

ちょうど同時期、ECB理事会後の記者会見で、トリシェ総裁は、最近の相場の動きは sharp and abruptであり、こうしたbrutal movesは歓迎しない、という発言を行った。また、ユーログループ会合後の記者会見で、ユンカー議長は、為替相場の最近の急激な動きは望ましくないとし、トリシェのbrutal発言は正しいとした。

どっちもどっちという感じではあったが、FT記事が少々はみ出していたのは事実であろう。

なお、これには後日談がある。12月19日公表された米国の議会に対する為替報告書で、このFT記事について言及がなされたのである。日本部分の記述の一部を再現する。

「日本は、変動相場制を採用しており、日本の通貨当局は2004年3月以降為替介入を実施していない。他方、円相場は日本の当局や政治家によって注視され、時折コメントが出されることがある。2007年11月の急激な円高の際には、主に円高のスピードに関する当局のコメントがみられた。米財務省は、実際の介入が伴わないコメントによる間接的な介入は、仮に効果があったとしても長続きしないと考える。こうしたコメントは為替市場にさらに変動をもたらす可能性があり、有益ではない。」

この為替報告書の内容自体は、ある程度抑制が効いており、さほど過激なものではなく、市場への影響もなかったが、私は米に強く抗議した。なぜなら、事前に何の連絡もなかったからである。米は、事前に連絡しなかったのは手抜かりで申し訳ないとしていた。為替相場の動きは、誰にでもすぐに見ることができ、政治的な配慮に繋がりやすい。各国とも苦労していた。

6.11月17-18日 G20財務相中銀総裁会合(ケープタウン)

このように、11月のG20会合を控えて、各国の為替に関する発言が目立ってきた。G20でも為替を議題にすべきとの発言も、カナダ等から出ていた。そこで、日米欧の主要為替当局者間で、直前に話し合いを持った。

まず、G20で為替の議論は避け、G20声明にも盛り込むべきでないことで合意した。G20で取り上げると、会合の後で、多様なG20参加者が好き勝手に外部に話すことになり、それは避けなければならなかった。南アフリカ(議長国)などに念を押すことにした。

ユーロ圏当局は、この2、3週の動きの中で、マーケットはG7を見ており、マーケットに対し「最近の為替の動きについてnervousになっている」といったシグナルを送らないと、ドル安が加速すると唱えた。「現状は、真の政治問題となる状態に非常に近い。ユーロとドルの関係だけでなく、アジア通貨全般(円、人民元等)もドル安の負担を負うべきである」旨を主張していたと記憶する。

米国の反論は、次のようなものであった。政治の問題になりつつあることは理解するが、為替の最近の動きはファンダメンタルズで説明できないような状況ではない。とは言え、市場の動きを勘案して、最近外向きの言い方を「強いドルは米国にとって大きな利益となる。米経済のファンダメンタルズの強さは、為替市場に反映されていくであろう。」と変えている。ただし従来からの基本的ポジションに変化はない。次回のG7(来年2月)の声明で為替の文言を変更することを検討する用意はあるが、その効果については懐疑的である。為替介入についても、その効果は極めて懐疑的である。一方、FRBの立場は、ドルは依然過大評価されているが、その調整は長期的になされるべきであるとのものであった。同時に、米欧の金融政策に対する市場の予想にかかる「奇妙なねじれ」(米国はさらに政策金利を引き下げる可能性、ECBは金利据え置き等)は悩ましいとしていた。

また、米国は、欧州はインフレ圧力を強調しすぎている、ECBは金利を引き下げる用意はないのかと突っかかった。ユーロ圏当局は、欧州のインフレ率はいまだ上昇してきている。2008年のユーロ安の際、G7コミュニケを変更し、為替介入を協調した。現状はそれに近い。ドル安に対する米国の今の態度は無責任であるとして怒っていた。

私からは、日本経済は全体として依然緩やかな回復をしているが、最近弱い指標が見られる。米国経済の減速や原油価格の高騰もあり、中小企業には打撃。人々は神経質になってきており、円高の進行により、政治的プレッシャーが出始めていると説明。一方、為替相場は経済ファンダメンタルズを反映すべき、急激な変動は好ましくないとのG7共有の立場に変化はなく、福田総理のFTでの発言報道は、誇張して伝えられているとした。

なお、日本としては、ドル安は困るが、ユーロ高の是正は円高の圧力に振り替わってくる恐れがあるという状況であった。当時の円の水準は、実質実効レートでは依然かなりの円安にあるのは事実であり、円高が行き過ぎた水準にあるとはとても言えなかった。あくまでも、為替の水準ではなく、相場変動の激しさ(volatility)をベースに議論をした記憶がある。

議論の方向性は当然のことながら出ない。これまでの言いぶりは変えず、お互い発言には注意していくということになった。G20の際に臨時のG7を開催すべしとする一部ユーロ勢の意見も、当然成立しなかった。

G20財務大臣・中央銀行総裁会合は、アジア通貨危機等を契機に、国際金融システムの議論を行う際には、G7に加え、主要な新興市場国を参加させることが望ましいとの考え方から、1999年に第一回会合が開かれ、それ以降、毎年一回秋に開催されていた。また、それに向けて、代理会合やワークショップ等も開かれていた。私は、何回か出席したことがあるが、IMFのクォータ改革(出資比率の見直し)等を除くと、参加国数の多さ及びその多様性ゆえ、どうも会議での議論が散漫になることが多かったような印象が残っている。先進国と途上国の財務大臣等が意見交換を行う場だったといってよい。2007年の議長国は、南アフリカであった。

(注)リーマン・ショック直後には、G20メンバー国による首脳会議(金融・世界経済サミット)の開催が決定され、2008年11月に、第一回G20首脳会合(ワシントン)が開かれるようになると、G20財務相中銀総裁会合は、首脳会合に向けての準備会合の性格を持つようになる。

11月17-18日、G20財務大臣・中央銀行総裁会合が南アフリカのケープタウン近郊で開催され、日本からは、財務大臣に代わり宮下政務官、日銀総裁と私が出席した。議論の概要としては、まず「世界経済・最近の金融市場の動向」があり、経済見通しとしては下振れリスクが拡大している点で一致、また金融監督の実効性向上、金融機関活動の透明性向上等が必要といった点が議論となった。為替については言及した人もいたが、議論は広がらなかった。次に、「成長と発展のための財政政策」として、健全な財政政策が経済成長と発展を支えるうえで不可欠との考えの下、各国から様々な取り組みが紹介された。また、「ブレトン・ウッズ機関改革」として、IMFのクォータ改革の第二段階(第一段階はいわゆる「シンガポール合意」)の解決にむけた議論が進められた。最後に、「一次産品の価格変動と金融市場の安定」として、最近上昇が目立つ原油価格について、産油国と消費国の対話の重要性、原油市場の透明性向上、省エネ推進の必要性などが議論された。この最後の点は、翌年のG8プロセス(日本が議長国)に期待する声が大きかった。

2007年12月の為替相場は、緩やかな円安・ユーロ安となった。円は、11月末の109円から年末には114円となった。この間、FRBの政策金利引き下げ(4.75%へ)、米欧加5中央銀行による流動性供給の協調があったほか、シティグループ(アブダビ投資庁から出資)、モリガン・スタンレー(中国投資公司から出資)、メリルリンチ(シンガポール・テマセックから出資)において増資合意の発表があり、やや落ち着いた雰囲気であった。嵐が来るまでには、未だ時間があった。

(了)

(注)図表については、IMFアジア太平洋事務所エコノミスト見明奈央子さんに作成して頂いた。

篠原尚之教授 備忘録シリーズ