備忘録その2-3
リーマン・ショック前後の為替政策 (ベア・スターンズ・ショック)

東京大学政策ビジョン研究センター教授
篠原尚之

2017/6/26

財務官退官後、2010年から2015年2月まで国際通貨基金(IMF)副専務理事を務めていた篠原尚之教授が、在任時を振り返って語る「備忘録」シリーズ。第二回では、2007年から2009年というリーマン・ショックを挟むこの時期を、主に為替政策の観点から振り返ります。

目次 [リーマン・ショック前後の為替政策]

1.はじめに

2.パリバ・ショックとサブプライム問題

3.ベア・スターンズ・ショック

1.前夜(2008年3月初めの為替相場)
2.ベア・スターンズ・ショック(3月13日からの数日)
3.G7財務大臣・中央銀行総裁会合(4月11日:ワシントン)

4.リーマン・ショック(作成中)

ベア・スターンズ・ショック

2008年3月中旬に起きたベア・スターンズ・ショック前後の為替政策をめぐるG7協調行動の試みは、ECB(欧州中央銀行)スマギ専務理事から、米国財務省マコーミック次官(国際担当)と私(財務官)への電話連絡から始まった。ECBの金融政策は、依然として欧州に残るインフレ懸念と、最高値を更新し続ける通貨ユーロとの狭間で、苦しい立場にあった。

1.前夜(2008年3月初めの為替相場)

篠原尚之教授 経歴

2007年8月のパリバ・ショックを契機とするサブプライム問題の表面化以降、米ドルは他の通貨に対して少しずつ減価してきていた。2007年中は110円台であった相場は、2008年3月初めには、ドル円は103円近辺となった。この間、米国の景気減速を示す経済指標が続き、バーナンキFRB議長等が追加利下げを示唆する発言を始めていた。バーナンキ議長は、2月28日、「ドルの下落は米国の貿易赤字の縮小につながり、これは前向きな動きである。」と議会証言を行ったことから、3月に入るとドル円は105円を割れるなど、全面的なドル安が進んだ。

特にユーロには上昇圧力がかかっていた。ユーロ圏は景況感に持ち直しの動きがあり、ECBによる更なる金利引き上げへの憶測も市場では感じられた。そのため、ユーロは、連日、ユーロ導入以来の最高値を更新しつつあった。米国と欧州の金融政策の方向性の違いからくるユーロ高は、欧州為替当局にとっては頭痛の種であった。

円については、2月末の弱い米国経済指標当を受けた米国株価の下落を受け、リスク回避的な買いが強まった。円キャリートレードの巻き戻しの動きも続いていた。

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米国財務省ポールソン長官は、バーナンキ議会証言(ドル安容認発言)の日の夜、「強いドルは米国にとって最善の利益である」「米国の長期的な競争力はドルに反映されていくであろうと強く信じる」という従来からの発言を繰り返した。

ユンカー・ユーログループ議長は、翌日のユーログループ会合後の記者会見の冒頭、ここ4年にわたり使われてきたG7コミュニケにおける為替の文言(①為替レートは経済のファンダメンタルズを反映すべきである、②為替レートの過度な変動や無秩序な動きは経済成長にとって望ましくない、③我々は引き続き為替相場をよく注視していく。)に加え、「現在の状況においては、我々は為替レートの過度の動きを懸念している」「強いドルは米国経済の利益になることを確認するとの米国当局のコメントに留意する」との立場につきユーログループで合意したと発言した。

円については、2月末の弱い米国経済指標等を受けた米国株価の下落を受け、リスク回避的な動きが強まった。円キャリートレードの巻き戻しは未だ続いている模様であった。円相場の水準は、対米ドルでみれば、103円前後は2005年1月以来の円高水準であり、100円を切れば(3月14日には99円台になった)、1995年11月以来の円高であった。他方、当時の為替相場は、ドル安の面が強く、円のみならず、ユーロやアジア通貨なども軒並み対ドルで大幅に上昇していた。円を名目実効為替レート(二国間貿易量で加重平均したレート)でみると、2005年1月からはむしろ円安であった。また、長期の趨勢をみる観点から実質実効レート(物価上昇率の内外格差を勘案)を見ると、かなりの円安水準であった。

当時の新聞論調などは、民間シンクタンクの試算をもとに、円高で実質GDPへはマイナスの影響があるとのものが主流であったが、海外生産比率の上昇や円対ドルと円対他通貨の関連性の弱まり(=実効レートもみるべき)からマイナス効果は減殺されるとの議論もなされるようになっていた。また円高による輸入物価の下落(交易利得の改善)で、国内の実質的な所得の増加や個人消費の拡大につながる可能性があるとの内閣府の試算も出され、全体として円高恐怖症とでもいうべき過去の極端な状況とは少し変わってきているかなと感じられる雰囲気はあった。

2.ベア・スターンズ・ショック(3月13日からの数日)

ベア・スターンズは、1923年に設立された伝統ある金融機関であり、従業員1万4千人をかかえる第5位の投資銀行であった。この銀行は債券や証券化商品の取引に強いのが特徴で、前年からはサブプライム問題でかなりのエクスポージャーを持って苦労していることが知られてきていた。2007年6月(パリバショックの前)には、傘下のヘッジファンドがサブプライム住宅ローンの焦げ付きで実質破綻し、大きな関連損失を出したことが公表されていた。しかし、この時点では、市場の反応も小さかった。ベア・スターンズは、10月にはCITIC(中国証券有限公司)から資本増強を受けるなどしたが、2007年Q4決算は、サブプライム関連損失により、創業以来初の純損失を計上していた。

2008年2月9日、G7財務大臣・中央銀行総裁会合が東京で開催された。この年、G8(G7とロシア)プロセスは日本が議長国であり、7月のG8首脳会合(洞爺湖サミット)、6月のG8財務大臣会合(大阪)などを日本で開催した。G7はG8とは別のプロセスであるが、この年最初のG7会合は、東京(三田共用会議所)で行った。会合では、「世界経済はより不確実な環境にあるものの、全体のファンダメンタルズは引き続き堅固であること」、しかし下方リスクが継続しており、「個別にあるいは共同して適切な行動をとっていく。」ことを確認した。

実際の会合での議論の一つは、金融市場のリスクをどう評価するかであった。当時はモノライン(地方債、社債、住宅ローン等の証券化商品に係る金融債務の保証を専業とする保険会社)やCDS(Credit Default Swap)の信用力の問題に関心が集まっていた。米国(ポールソン長官)からは、1月のFRBの金利引き下げや1500億ドルの景気対策などの対策をとっているほか、市場の混乱の問題には、金融機関による適切な価格評価に基づく損失の認識・公表、自らの努力による資本増強が重要であるとの説明があった。日本(額賀大臣)からは、1990年代の日本のバブル崩壊の経験を概括し、不良債権処理のスピードが遅かったこと、公的資金による救済が市場の混乱対策として有効だったこと等を述べた。米国は、公的資金は必要ないし適当でもないとしつつ、将来にわたって100%ないとは言わないが、と述べていたと記憶している。各国とも、米国政府の対応を見守るしかないという雰囲気であった。

2008年3月10日(月)、米系金融機関大手ベア・スターンズが流動性不足に直面する可能性があるとの報道が流れた。直ちにベア・スターンズによって否定されたが、米国株価は大幅に下落、ドルへの売り圧力もかかった。翌3月11日夜には、前年秋からの金融緩和・短期金融市場対策の延長として、欧米5中央銀行(FRB、ECB、BOE等)が協調して、ドル流動性圧力緩和にためのドル資金供給策を発表したが、市場はその有効性について疑問を持った。3月12日のNY市場では、ヘッジファンド(カーライルキャピタル等)破綻の噂が流れ、ドル売りが強まっていった。ドイツ当局のタカ派的発言を受けてユーロは既往最高値を更新し続けた。ブッシュ大統領は、「強いドルを全面的に望む」と発言し、市場の鎮静化に努めた。

3月13日(木)夕方、円は遂に100円割れとなり、99円77銭までの円高が進んだ。当時としては、1995年10月24日以来12年5か月ぶりの安値であった。ドル全面安である。

3月13日夜、ECBスマギ専務理事から電話が入った。「ドルの更なる下落は望ましくない」旨の共同声明を出せないか米国マコーミック財務次官に話したので、日本も協力してほしいとのものであった。ECBは、当時まだ欧州内にインフレ懸念がある中で、政策金利引き上げへの圧力(ドイツ等)がかかる一方、ユーロは史上最高値にあるというジレンマに追い込まれていた。

米国とは2月以降常時連絡はとりあっていたが、ECBからの電話を受けて再度電話した。米国は、ECBの懸念はシェアするが、ECBはインフレリスクばかりを強調しているのが問題であり、その一方でユーロの上昇を懸念するのはけしからん、というのが米財務省内の声だとした。私からは、ユーロ高ではなく、ドル全面安であるからscaryなのだと反論した。

その一時間後くらいであろうか、米国から米財務省内での議論の様子を伝える電話があった。「為替市場の動向は注意深く見ており、懸念を持っている。G7の共同声明を変えることも含めていろいろ考えている。ただし、共同声明を出すのは早すぎる。次は介入という雰囲気になってしまうが、そういう状況には至っていない。」旨の発言であった。私からは、少なくとも準備だけは進めておいた方がいいのではないかと主張した。また、FRBのドル安容認発言が問題であること、日本の経験に鑑みると不良債権問題に対し公的資金の活用が不可避ではないかなどについて再度話をした。

ECBにはすぐに米国の反応を伝えた。ECBは米国の態度に強い不満を示したが、一方でECB単独で何か手を打つすべはないようであった。彼は、インフレ懸念が残るなかで手足を縛られており、ユーロを何とかtalk downしたいとの立場であった。

3月14日(金)午後9時過ぎ、米マコーミック次官から電話が入った。「ベア・スターンズの流動性がつかなくなった。今日のところ窓口は開ける。そのため、FEDからJPMorgan経由で必要な流動性の供給を行うこととした。ベア・スターンズが単独で生き残ることは難しいようで、週末にかけて、次のステップ(JPMorgan等によるtake overか、Chapter 11か)について検討することになる。もうすぐ発表される。」旨の連絡であった。

これを受け、政府内の要路や日銀、金融庁などと連絡をとり、一時的なLiquidityの問題でなく、Solvencyの問題に広がっているという米側の認識を伝えた。

3月15日(土)には、金融庁が、邦銀やベア・スターンズ東京支店へのインパクト等について調べ、それ自体で日本の市場が大混乱することはないであろうとの認識を得たようであった。

3月16日(日)の米国との会話では、米側には共同声明にかかるスタンスに変化はなかった。「為替で共同声明を出すことは現時点ではノーチャンス。声明を出すと、介入を実施するとのメッセージになるが、到底そういう状況ではない。17日(月)の市場は荒れるだろうが、その様子を見てから、財務長官は為替についてどのような異なったメッセージがあり得るのか考えることになるだろう。」という趣旨であった。

3月17日(月)早朝、JPMorganがベア・スターンズをテイクオーバーする旨が発表された。また、FRBは、プライマリーディーラー向けの新たな公定歩合貸出スキームを創設するとともに、公定歩合を0.25%下げ3.25%にすることを発表した。

しかし、市場の不安感は払拭されず、東京市場が開くと、日経平均は一時前日比550円安と下落。円が高騰し、一時95円77銭(12年7か月振りの円高)を付けた。また、ユーロも史上最高値の1.59を付けた。ドル安の底が見えにくい状況になった。こうした東京市場の流れを見て、午前11時頃であろうか、私は米国に電話し、市場が底割れしつつあるのではないか、ベア・スターンズの件が米金融市場の深刻さを更に認識させ、大きな動揺が起きているのではないか、共同で強い懸念を示す必要があるのではないか、と伝達した。

一時間後、米国から電話があり、米側で共同声明のドラフティングを開始したこと、欧州勢が起きてきたら案文について話し合おうということとなった。

同日夜、ECB及び仏財務省を交え、送られてきた共同声明の案文を協議した。今後の段取りの可能性として、18日(火)のFOMCの結果をみて共同声明を発表、それが効かなければ協調介入することもありうべしとの前提で、介入についての下準備を各国で始めることでも合意した。直近で協調介入が行われたのは2000年9月であり、介入マシーンに油をさしておく必要があった。ただし、米国は、引き続き基本的に共同声明及び介入の意義について疑念があることを強調しつつ、コンティンジェンシーとして準備したい旨を繰り返し強調した。

3月18日夜の会話では、3者の間で共同声明の案文につきほぼ合意。他のG7各国と相談していくことで合意した。今にも声明を出すべきというECB及び仏財務省、それを応援する日本、あくまで市場の状況が悪くなったら考えるという米国との間のズレは残ったままであった。

3月19日(水)になると、急速に市場の緊張感が弱まった。NY時間18日午後、FOMCは0.75%の金利引き下げを発表。声明文は、インフレへの懸念を強調しつつも、ドル安への懸念も感じられる表現振りであった。市場は大きく反発し、円は99円台半ばまで戻した。ユーロも対ドルで同様な状況であった。

この日は、早朝から、G7 Deputy間の連絡、大臣間の電話会談等、バタバタとしたが、市場が持ち直したことから、米国側は共同行動をとることに極めて消極的な態度に戻ってしまった。最終的に、米国側の立場は、「G7声明を特別に出すのは、金融政策についてファンダメンタルズな変更があった場合か、市場のdislocationという深刻な問題があるとき、G7会合が開催される時、であるが、昨日以降市場の混乱は収まってきており、メッセージの変更は不要となった。今回のcontingency planはよい演習となった。4月のG7会合でメッセージの変更の可能性を含め引き続き議論していきたい。」というものであった。

日欧からは、ここ数日の市場の混乱に鑑み、予防的に共同声明を出しておくことが大事ではないかと主張したが、米国の主張は変わらなかった。米欧の対立は鋭かった。私は、米国と欧州の対立の間に入ることで、将来日本円が圧力を受けた時に各国のサポートが得やすい雰囲気を作るように努めた。最終的に、私から、市場は引き続き神経質な状況が続くので、予防的な対応を含め、機動的にG7声明が使えるように準備しておくべきとした。また、日本のバブル崩壊の経験を参考に、米国市場に係る根源的な問題に対処してほしい旨繰り返した。米国側は、日本のバブル崩壊期と違い、迅速に金融機関の評価損の計上を進めていること、為替については、長い間円キャリー等により円安が続いたことの巻き戻しの面が強いのではないか、いずれにせよ市場が無秩序な動きがでれば、しかるべく対応する必要がある、といった反応であった。

余談であるが、この年の8月末、日本経済新聞に、『ドル防衛秘密合意 日米欧3月の金融危機時 協調介入を準備』という記事が躍った。明らかに書きすぎ(飛ばしすぎ)の記事ではあったが、市場に警戒感をより生じさせるという意味で、私はこの記事については当時ノーコメントを通した。

3.G7財務大臣・中央銀行総裁会合(4月11日:ワシントン)

4月に入り、米欧金融機関が追加損失を計上しつつも資本増強策を合わせてとる動きがみえたことなどから、市場では一時の悲観的なセンチメントが和らぎ、ドル円は102円台まで、ユーロドルは1.57ドル前後まで値を戻していた。しかし、米国の景気後退懸念は依然強く、米欧金融機関のサブプライム関連損失が更に拡大するのではないかとの見方が根強かった。市場は引き続き神経質な状況には変わりなく、新たなイベントが生じれば、再びリスク回避の動きから急激に為替相場が変動することが懸念された。

こうした中で、4月11日のワシントンでのG7会合に向けて、G7共同声明での為替の文言について各国間で議論を続けた。主たる議論は、引き続き、日本(財務省)、米国(財務省)及びユーロ圏(ユーログループおよびECB)の間で行われた。

前回2008年2月(東京)G7会合の際の文言は、以下の通りであった。

『我々は、為替レートは経済ファンダメンタルズを反映すべきとの考え方を再確認した。為替レートの過度の変動や無秩序な動きは、経済成長にとって望ましくない。我々は、引き続き為替市場をよく注視し、適切に協力する。』

上記の文言は、これまで2004年2月のG7会合(アメリカ・ボカラトン)声明に始まり、4年間2か月余り一切の変更をせず、念仏のように唱えてきた決まり文句であり、ちょっとした変更も大変な労力を要した。我々Deputiesは、3月中旬以降、この文言をどう変更するかに多大な時間を使い、様々なドラフトを交換しあった。

3月18日に一旦仮合意していた文章は、最終的に4月G7で用いた文言よりかなり強いものであった。その後の市場の和らぎを受け、私の中では、文言の変更により現在の流れを変えようというのではなく、次に何か大きな変動があったときに効果を期待するためのものという趣旨に変わっていた。4年振りに文言を変えることで、今後の協調行動に関するフレキシビリティーが増えるであろうという意識もあった。現に、この間のG7間のコミュニケーションは、リーマン・ショック後の連携をやりやすくしたと感じている。

米国は共同声明を変更すべきか依然として迷っていた。米財務省は、ベア・スターンズの際の経緯もあり、変更するのも止むを得ないという感じであったが、FRBは為替の文言は市場に落ち着きがみえてきた現状では変更しないほうがよいと考えていた様子であった。ECBは、表向きのインフレ対応は変えられないため、声明を出すことでユーロのレベルが下がることを期待していることが感じられた。

2008年4月11日(ワシントン)G7会合における為替の文言は、以下の通り。

『我々は、強固かつ安定的な国際金融システムが我々の共通の利益であることを再確認する。前回の会合以降、主要通貨において時として急激な変動があり、我々はこれらが経済及び金融の安定に与え得る影響を懸念している。我々は、引き続き市場を注視し、適切に協力する。』

2月の文言との違いは、主として第二文にあるのだが、共同声明に政策変更や介入といった実弾が潜んでいると市場が感じない限り、大きな影響は期待できない。為替市場を大きく動かすのは、あくまでも、経済ファンダメンタルズの変化であり、この時期で言えば、各国の金融政策の動きや、欧米金融機関の損失処理の状況などであった。

声明変更の目的は、G7の焦点が経済及び金融の安定にあること、強固かつ安定した国際金融システムを支持していることを市場に明確に示すことであると説明した。「為替レートは経済ファンダメンタルズを反映すべき」や「為替レートの過度な変更は望ましくない」との表現は共同声明から落としたが、引き続きG7として為替政策の考え方であることに変わりはないとの説明は行った。

いずれにせよ、G7が、為替相場の最近の動きについて、「急激」であるとし、「懸念している」点で歩調を合わせたことには一定の効果があったと思われる。現に、6月になると、これはユーロ高への懸念が主とした要因だが、米ポールソン財務長官やFRBバーナンキ議長から、「為替介入も、その他どのような政策手段も排除しない」といった発言が出るようになった。

為替市場の動きは、こうした動きや、FRB等の協調追加流動性対策などを受けて、徐々に円安が進み、8月には110円台まで戻ることとなった。ユーロは、7月3日のECBによる政策金利の引き上げ(0.25%)を受け、7月15日には1.6ドルの既往最高値(対円では7月23日に169.9円の既往最高値)を付けるが、その後一転してユーロ安に転じていくこととなった。

中国人民元については、G7声明では、『我々は、人民元の柔軟性を向上させるとの中国の方針を歓迎しているが、経常収支黒字が増加し、国内インフレが上昇していることに鑑み、人民元の実効為替レートのより速いペースでの増加を促す。』との表現で、前回2月の会合から変更はしなかった。当時、人民元の安値誘導と見える動きについては、各国とも大きな懸念を持っていたが、米国も、米中対話で正面から対立するよりも、IMFのサーベイランス(4条協議)の強化などを通じて、マルチの場で圧力を強めていくことが適当との立場であった。

最後に、蛇足であるが、この時のG7会合の様子について簡単に描写しておく。4月11日のG7会合は、IMF・世銀の諸会合(IMFC、開発委)の前日、ワシントン米財務省内の会議室で行われた。まず第一部として、午後2時スタートで、世界経済情勢や最近の市場や金融規制などについて午後5時頃まで議論。第一部の議論の最後で、G7間で共同声明を確定した。参加者は、G7の財務大臣、中央銀行総裁、財務大臣代理の各国3名。ほかに、ECB総裁、IMF専務理事、世銀総裁が参加した。次に第二部として、午後6時半くらいまで、IMF改革、SWF(ソブリン・ウェルス・ファンドの開放性)、開発(気候変動と当時もんだいとなっていた原油・食料価格上昇)、テロ資金対策等を議論。議論には、ロシア財務大臣、EUも参加した。

その後、午後8時からアウトリーチ会合が開かれた。アウトリーチ会合は、その時により、新興市場国を呼ぶこともあれば、アフリカ諸国を呼ぶこともあった。4月の会合では、金融市場や金融機関の健全性の問題が焦点の一つであったこともあり、シティグループ(ビショフ会長)、ドイツ銀行(アッカーマン会長)、モルガン・スタンレー(マック会長)、ブラックロック(フィンク会長)、みずほ銀行(佐藤副頭取)、FSFドラギ議長などの金融関係者が招待され、午後10時前までワーキング・ディナーの形で議論が行われた。信用市場が不安定になっている原因、金融規制の在り方等について、時間が短いためやや上滑りではあったが面白い議論があった。強く印象に残っているのは、財務省で出されたメイン・ディッシュが、白身の魚のムニエルのような料理だったのだが、奇妙な臭いがして恐ろしく不味かったことである。

このように、当時は、まだ財務・中銀プロセスは、G7中心に動いており、首脳プロセスがG8となっていたこととの平仄をとるのが少々厄介であった。G7会合の第二部(開発や気候変動等を議論)にのみロシアの財務大臣が参加しているのは、そのためである。

(了)

篠原尚之教授 備忘録シリーズ