近年成長が著しい国における学術政策、大学政策、学校教育を通じた人材育成政策に関する政策提言

文部科学省科学研究費補助金 特別研究促進費 (課題番号 25900001)
政策ビジョン研究センター

2015/7/2

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photo by Dave Powell


この政策提言は、文部科学省科学研究費補助金特別推進研究費での研究成果を取りまとめた報告書の要旨です。報告書全文は、下記PDFをご覧ください。

近年成長が著しい国における学術政策、大学政策、学校教育を通じた人材育成政策に関する調査研究報告書

要約

学術は、国家としての尊厳の維持に欠くべからざるものであり、国力の基盤を支える科学技術の源泉で、中でも基礎研究の中心的担い手である大学の果たすべき役割や使命は益々重要となっている。この観点から、諸外国では国家戦略として大学や基礎科学への公的投資を続伸させている。一方、日本では、大学への公的投資は削減され、OECD諸国中、最低水準にあり、さらに財政的支援の削減がなされるとすれば、科学技術立国の基盤の崩壊、学術文化の喪失に至ることが強く憂慮される。大学は人づくりの現場であり、大学の土壌を枯らすことは次世代の若者の将来を危うくしかねない。高等教育と学術研究を担う大学は経済成長の源泉であるが、効果を高めるには優れた政策と制度が不可欠である。我が国においては1990年頃まで高等教育費と経済成長との間に強い相関関係があったが、以降産学連携と競争的資金による研究を推進してきたにも拘らず、投資に見合う成果が明瞭でなくなっている。

一方、シンガポールは1965年に独立した歴史の浅い国で、天然資源のない国でありながら、21世紀に入って以降の10年間で1人当たりGDPが2倍以上に増加、今や5万ドルを超え、旧宗主国のイギリスや我が国をも上回る豊かさを達成した先進国へと変貌を遂げた。同国はスイスの機関が毎年発表する国際競争力ランキングで常に上位を占め(WEF(世界経済フォーラム)では2位、日本は10位、IMD(国際経営開発研究所)では5位、日本は24位)、WIPO(世界知的所有権機構)が2013年7月1日に発表した技術革新力ランキングにおいても世界8位になっており(日本は22位)、いずれも我が国を凌駕する国際的な評価が定着している。その背景には同国の科学技術・学術政策や大学政策が産業政策と密接にリンクしていることが思料される。その政策を詳細に調査研究することは、我が国の経済成長に資する科学技術・学術政策、大学政策を推進する観点からも非常に意義深く、また我が国の大学政策への示唆となる。

我が国の学術政策、大学政策、教育政策の立案過程で、海外の事例調査は頻繁に行われてきたが、その多くは欧米諸国に関するものであった。近年になって韓国と中国の関係施策の調査が進められてきたが、シンガポールについては調査対象としての関心が低く、政策研究という観点からの調査研究は不十分である。同国は天然資源や労働集約型製造業を基盤とした他の新興国型の成長ではなく、研究開発と人材育成の重視が近年の急成長に結びつき、高度な知識基盤社会に移行したと考えられることから、その政策の内容を詳細に調査研究することとした。

提言1 一本化されたビジョン・ミッションの共有と政策実施の多元主義

シンガポールでは科学技術政策のビジョンが明確であり、またそれが広く共有されている。国家の資源制約と置かれた状況から、シンガポールでは経済発展が国是とされ、科学技術政策も経済発展という観点から構築されている。従って、資金提供機関や大学などにおいて、経営層から実務レベルまでミッションが広く共有されている。一方、政策実施・行政については、準政府機関の各々は多大な権限を与えられており、各々で政策を企画・立案・実施をしており、結果的に極めて多元的に実施されている。

わが国では内閣府と総合科学技術・イノベーション会議の「司令塔化」が声高に主張されてきているが、このような統合化が現状において十分機能しているかは明白ではない。シンガポールにおいては、首相府・各省と外郭組織(法定機関、国立大学、政府系企業)を通じた幹部レベルにおける人事異動とそれを基盤とする人的な交流が密であることがビジョン等の実質的な共有に大きく寄与している。より重要なのは科学技術政策の目標について明確で実質的な理解が様々な省庁においてマネジメントや現場における執行等のレベルで共有されることではないかと考えられる。

提言2 海外の先進事例の積極的な導入・展開

シンガポールの科学技術政策や大学政策は、基本的に米国など先進国へのキャッチアップを目指して行われたものである。その際、シンガポールは海外の先進事例を非常に素直に、ときにはコピーとも思えるほどの忠実さをもって導入している。

例えば、シンガポールはバイオメディカル分野への参入にあたって一流の研究者を海外から大量に誘致した。これは海外の著名な研究者の助言に基づいたものであった。またシンガポールの大学で現在用いられているテニュア・昇進システムは、米国をモデルにかなり厳格に実行されている。評価基準・給与水準も米国の大学を基準に設定している。大学経営全体についても米国をモデルにしている。財務についてシンガポール国立大学はスタンフォード大学から徹底的なコンサルティングを受け、スタンフォードの「統合的会計基準」をモデルに大学全体の財務の透明化を進めていった。 海外事例から学ぶためにシンガポールは多大なコンサルティング費用を払っていると推察され、これは経済が伸び続けている国であるからこそ可能である。しかしながら、愚直とまで思えるほど徹底して先進事例を合理的に導入する姿は、日本にとっても重要な示唆ではないか。

提言3 人材流動性と高給での処遇を可能にする法定機関や国立大学の自律性の高い財政的権能

シンガポールは世界トップクラスの高度人材を海外から誘致するために、米国の大学を参考に高い給与水準を設定している。また給与のみならず、住居・教育補助、また初期の研究費(スタートアップ資金)など様々な工夫がなされている。

現在は高成長を続ける経済のもと、多大な研究開発投資が投入されているために可能となっているが、ただこれ以外にも財源の工夫は多数なされている。2000年代半ばに大学が法人化された際、シンガポール政府は大学に広範な権能を与えた。今後は米国型のハイリターンの基金設置も目指していく。さらに経済開発庁(EDB)や科学技術研究庁(A*STAR)など科学技術関係の法的機関や国立大学には、企業的な事業展開や多様な資産運用を含めた財産主体としての幅広い権能と高い財政的自律性が与えられている。

翻ってみれば、わが国の、独立行政法人及び国立大学法人は財政上の権能が著しく制限され、特に資金の出資は特別法で定める場合に限られ、土地等の現物出資は認められていない。運用についても債券の発行やリスク性有価証券による資金運用、土地等の運用も事実上できない状態になっている。 こうした実態の背景には民業圧迫を避けるなどの配慮があってこそであるが、公的財政が厳しくなる中、シンガポールにならって研究開発法人や国立大学法人が財政運営上の自由度を高めることが、海外人材誘致のための条件になると考えられる。

提言4 産学連携を進めるための制度

産学連携については、シンガポールはミッションが共有されているだけでなく、様々な制度的な工夫がある。科学技術政策の中心的機関であるA*STARは科学技術省に相当する機関の下ではなく、貿易産業省の下にある。これに加えて、多くの研究者が大学とA*STARでポジションを兼任している。特に後者はわが国でも大いに参考になるであろう。例えばわが国でも、大学と産学連携に特化した機関でクロス(又はスプリット)・アポイントの制度を本格的に導入するというのも一つの方策である。

提言5 戦略的現実主義と機動的な方向修正

知識経済へ向けて大きな第一歩を成功裏に進めたシンガポールであるが、その道のりは平坦ではなく、失敗も多かったと思われる。ただし、シンガポールの場合、問題に突き当たったと思われる時期に特別な委員会が開かれ、素早いスピードで政策の軌道修正がなされる。これは戦略的現実主義と呼ばれる。政権の継続性があるにもかかわらず、政策の修正は度々行われている。

科学技術基本法が制定されてから、わが国では様々な施策が実施された。非常に成果を収めているものもあれば、そうでない政策もあることは事実であろう。シンガポールの戦略的現実主義に則った方向転換も必要ではないだろうか。

謝辞

本研究の実施に当たっては関係各位の協力が不可欠であった。本研究の一環として、2014年3月11日〜13日に調査のためシンガポールの関連機関を訪問し、また2015年1月26日〜27日にシンガポール国立大学(NUS)でNational Science and Technology Planning and the Role of Research Universitiesと題してワークショップを開催した(本報告書の随所で得られた知見が反映されている)。この訪問とワークショップを通じて短期間でシンガポールの科学技術政策について正確な情報を得ることは、各位の協力なしには実現できなかった。

全ての方のお名前を挙げることはできないが、2014年のシンガポール訪問では特に以下の各人にはお世話になった。Dr Tan Chin Namには長年の経験にもとづき、シンガポールの政策について深い洞察をいただいた。Prof Low Teck Seng (CEO, National Research Foundation)とMr Lim Chuan Poh (Chairman, Agency for Science, Technology and Research)には科学技術政策について貴重なご意見をいただいた。Prof Tan Chorh Chuan (President, NUS)、Prof Barry Halliwell (Deputy President, NUS)、Prof Kishore Mahbubani (Dean, Lee Kuan Yew School of Public Policy, NUS)からは大学の視点から得難いコメントを受けることができた。またMr Gian Yi-Hsen (Economic Development Board)には産業政策と科学技術政策の関連性について示唆をいただいた。またNUS学長のProf Tan Chorh Chuan,副学長のProf Barry Halliwellには2014年の訪問時はもとより,2015年1月のシンガポール現地ワークショップの企画・実施でも大変お世話になった。ここに深く感謝の意を表したい。